映画『リチャード・ジュエル』感想 「偏見」について考える

映画『リチャード・ジュエル』序盤は退屈な上に群像劇と見まがうほど視点が切り替わって疲れるのだがジュエルが犯人と疑われ出したところからはそれなりに面白い映画だった。以下は「偏見」について語りながらこの映画を振り返っていく(ネタバレあり)。

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以下ネタバレを含みます。

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映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』感想 公共とは何か、図書館とは何か、映画とは何か

『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』を見ました。私は相も変わらずフレデリック・ワイズマンの作風など全く知らないまま、(ドキュメンタリー映画であるということ以外は)事前情報を入れずに見に行ったため、これがこんな映画であるとは知りませんでした。

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今年最高の映画『響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』は、なぜ劇場版でなければならなかったのか

短く解説します。ネタバレしかないので未見の人は読まないでください。

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佐藤浩市は安倍首相を揶揄したのか? インタビュー全文を読んだ私が解説します

最近ツイッターのタイムラインをにぎわせているのが、俳優の佐藤浩市が安倍首相の持病を揶揄する発言を行ったというもの。

なんと切り取りによる誤解ではなく、全文を読んでも「安倍さん揶揄」「難病患者を傷つける」ものらしい。安倍さんは権力者なので、単に権力者に対する批判を行っただけなら「炎上」するようなことでは全くありませんが、それが病気を揶揄するようなものになっていたら良くないですよね。

さて、というわけで、400円払ってビッグコミックを買ってきました。

ビッグコミック 2019年 5/25 号 [雑誌]

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問題のインタビューは表紙からページをめくってすぐのところにあります。インタビューページは1ページしかなく、上半分は佐藤浩市の顔写真と漫画のコマ等で占められているため、文章自体は半ページもありません。その中で佐藤浩市がどんな発言を行ったかについて取り上げていきます。

1."いわゆる体制側の立場を演じることに対する抵抗感"がある

これは芸能界あるあるですよね。例えば一般にはお笑いというのは「庶民の味方」であるべきとされたりしますし、芸能を含め表現者は普通に体制をそのまま肯定するような作品、極端なものだと戦時下におけるプロパガンダのような作品には協力すべきではないとされています。実は本文においてここも大事なポイントなので、ポイントAとします。

2.”この映画での少し優柔不断な、どこかクジ運の悪さみたいなものを感じながらも最終的にはこの国の形を考える総理、自分にとっても国にとっても民にとっても、何が正解なのかを彼の中で導き出せるような総理”

どういう役柄なのかについての説明。ポイントB。

3.”彼はストレスに弱く、すぐにお腹を下してしまうっていう設定”にした

問題とされる箇所ですが、まず第一に安倍などという名前は一言も出ていません。第二に、安倍さんを揶揄するのなら「お腹が痛くて総理を辞めた」ならまだ記憶力の良い人が安倍さんを思い出すかもしれませんが、単にストレスに弱くお腹を下してしまうというのは人間あるあるであり、緊張感を表現するものとして一般的な表現です。特定の難病でなくてもあることです。第三に、この設定はその前のページの作品紹介の中でも”総理という役職だけではなく一人の人間として国の未来と向き合う男の苦悩”(ポイントC)を見せるためとして出てくるほどの公式に認められたものであり、佐藤の独断、わがままでキャラが歪められたといった類のものではないということ(そういうキャラ変更の場合は、後から写真週刊誌等のスキャンダル欄の記事として取り上げられるものであって、作品の広告記事に使われるものではありませんよね)にも注意です。

4.インタビュアー”劇中では名実ともに「総理」になっていく過程が描かれる”

ポイントD。

5.”日本は常に「戦後」でなければいけない”

当たり前ですよね。違憲の疑いがあると言われながらも「平和安全法制」を成立させた安倍さんを含め、日本を戦前にしたい、戦中にしたいなんてほとんどの政治家は思っていないはずですし(全員と言いたいところなのですが、最近、ある国会議員が開戦を煽るような発言をして話題になっているため、全員と断言できないのがつらいところ)、日本を戦前、戦中にすべきだなんて主張は平和を守る政治家としては論外ですから。なんだか、一部にはここを問題視する人もいるようなのですが、これは当たり前の発言であり全く問題はありません。

さて、インタビュー全文を分析してきて、佐藤が自身の役柄を安倍さんに結びつけて揶揄しているのか、改めて振り返って考えてみると、安倍などという名前は出てこないし、安倍さんの病気とも関係ないことがわかりました。それでも、それでも安倍さんを揶揄しているだろうとお考えの方は、佐藤が演じる首相の設定について見返してみるべきです。

この映画における佐藤の役柄は、

”この映画での少し優柔不断な、どこかクジ運の悪さみたいなものを感じながらも最終的にはこの国の形を考える総理、自分にとっても国にとっても民にとっても、何が正解なのかを彼の中で導き出せるような総理”ポイントB

”総理という役職だけではなく一人の人間として国の未来と向き合う男”ポイントC

名実ともに「総理」になっていく過程が描かれる”ポイントD

また、ビッグコミック表紙より”至上の決断力を持つ男”ポイントE

なんです。要するに、この人物は立派な総理(になっていく人物)として描かれているんですよ。

更に決定的なのは、"いわゆる体制側の立場を演じることに対する抵抗感"ポイントA

があると佐藤に公言されるような役柄であり、つまり、例えば総理の役であっても、それが体制側をなじるようなもの、つまり愚かな総理を描くのなら抵抗感もないはずなのに、佐藤が”演じることに対する抵抗感”を持つような役柄なのですから、この総理は良い総理として描かれているんですよね。間違いなく。

そんなABCDEを持つ立派な総理と安倍さんをもし結び付けたとして、安倍さんへの揶揄になりますか?揶揄するのなら、対象を貶めないと意味がないわけで、立派な人物を「お腹痛くなる」から安倍さんだと結び付けたらそれはむしろ安倍さんへの崇拝を扇動していることになりますよね。この映画の描き方では全く揶揄として成り立たないんですよ。

よって、佐藤浩市は安倍首相を揶揄なんかしていません。全くしてないんです。

また、もっと一般に「原作から設定を改変するのはおかしい」という文句は当然あると思いますが、これは、ここからは私個人の見方なのですが、ある媒体で発表されたものを別の媒体にメディアミックス展開する時って、必ず「原作通りにはならない」んですよ。だって、小説、漫画、アニメ、実写、ボイスドラマ、演劇、ゲーム……それらって表現方法が違うわけじゃないですか。例えば小説、漫画は読者が自分でページをめくるという特徴があり、制作側の考える時間配分通りに流れていくアニメ、ドラマ、映画とは違うのですから、全く同じ作品にはなりようがないんですね。そして、恐らくいわゆる原作ファンが「原作通り」だと納得して喜ぶような作品というのは、実は原作への忠実度が高いのではなく、原作の良さを上手く引き出せているかで判断されるようなものだと思うんです。今回の設定のアレンジも、もしかしたら原作の良さを失わせるものであったり、つまらない映画にしてしまう変更かもしれませんから、そういう考えからの批判は成立すると思っています。ただ、それはこの佐藤のインタビューへの批判とは違うし、実際には原作をうまく映画に落とし込んだ良い作品になっているかもしれないし、それは原作ファンが映画を見て抱く感想だと思っています。