競馬は即刻廃止すべきだ

毎日駅を通る。柱にも天井にも張り巡らされた広告が、嫌でも目に付く。なぜかこの一週間の広告は一色、赤色に染まっていた。笑福亭鶴瓶と、あと名前を知らない男と女が満面の笑みを見せている。その笑顔の下には、白文字で日本ダービーと書かれている。何に対しての笑顔だろう。毎年6000頭以上の馬が屠殺されていることに、だろうか。
 
日本競馬は即刻廃止すべきだ。なぜなら、日本競馬は文化ではなく、何千頭もの馬を殺して金を得る産業になっているからだ。
 
もともと馬というのは、他国への侵略手段として、遊牧民族等の移動手段として、あるいは使役用として人間に利用されていて、そこから古代の競馬が起こり、さらに近代競馬が生まれた。イギリスで近代競馬が始められたのは貴族の娯楽としてであり、それは今でもそうなっている。例えば2011年にはエリザベス女王所有のカールトンハウスという馬が英国ダービーを勝つかと言われ、結果3着に敗れたが、貴族階級が嗜む文化として成り立っていることがわかる。
日本の競馬はどうだろう。日本にはもともと欧州のような馬文化はない。初めから欧州の猿真似として導入されている。「天皇賞」だのと大層な名前をつけているが、天皇陛下は馬主ではない。馬主といえば社台社台社台パチンコパチンコ、個人馬主に目を移すと北島三郎佐々木主浩?とても貴族の文化とは言えない。下品な人間が金を使う場所となっている。
そして、その裏では毎年何千頭もの馬が殺処分されている。皆さんは競走馬の最後をご存知だろうか。
種牡馬繁殖牝馬になれるのは競走馬の中でもごく一部のみ、良血と呼ばれる馬のみである。ただし、いくら競走馬として実績をあげていようと、種牡馬として結果が出せないと5年もたずに廃用になる。種牡馬繁殖牝馬になれなかったり、繁殖に回ったのにもかかわらず結果の出せなかった馬はどうなるのだろう。
乗馬?乗馬として生涯を終えられるのはほんのわずかな競走馬、気性が非常によく、その中でもたまたま運の良かった馬だけしか乗馬にはなれない。馬肉?いや違う。競争用に改造されてきたサラブレッドは馬肉にすらなれないのだ。無駄にエサ代や場所代をかけないために、さっさと薬殺されるのが常である。毎年何千頭も。毎年何千頭もの命を無駄に殺して、ニコニコと馬券を手に叫ぶのが日本競馬なのだ。こんなスポーツ、ギャンブルは他にはない。プロ野球選手やサッカー選手は人格まで改造されないし、宝くじは紙だ。パチンコは金属と電気代だ。競馬は何千もの命を消費している。現代において、こんなものを存続させておく理由はない。きちんと引退競走馬の問題に向き合っているアメリカ、貴族文化として言い訳ができる欧州とは違い、日本競馬には残すべき文化としての側面など何もない。薄汚い恰好をしたオヤジども、下品な罵声、空に舞う馬券、何もかも汚らわしい。伝統を守れと言うのなら、下総御料牧場の輸入牝馬の血だけ残していればいいのであって、大々的な広告を打ち巨大な競馬場を建て何千もの命を粗末にし市民から銭を巻き上げる必要はない。日本競馬は文化としてではなく、政府の集金システムとして繁栄しているのだ。毎年、何千頭もの馬を殺しながら。
 

 

最強の競馬論 (講談社現代新書)

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映画『ズートピア』と『踊る大捜査線』

以下は一応主要なネタバレをしないように書く。

 
現在公開中の映画『ズートピア』は凄い。極めて政治的な内容ながら、説教臭さゼロのエンターテイメントにしていて、面白いし、笑えるし、かつとても泣ける。私は開始1分でもう泣いてしまった。
 
肉食動物と草食動物が仲良く暮らしている「ズートピア」だが、それは建前だけで、実際は種族間の差別が蔓延している。その中で、ウサギで初めて警官になったジュディが、手がかりのほとんどない難事件を引き受けてしまう。きちんと作られているので、物語というものに詳しい人なら先が読めてしまうのかもしれないが、私はどうなるんだろうどうなるんだろうと思いながら見ていた。
 
一番泣けるシーンは、ジュディの記者会見だ。このシーンを描くために映画が作られたと言ってもいい。とにかく泣いたシーンだった。
 
面白い映画なのだが、グーグルが「クライム映画/アクション」と表示してくるように、ハッピーハッピー見られる映画ではなくて、少し暗いシーン、怖いシーンがある。もっとも一般的なSF映画にすら到底及ばないレベルなので皆さんは気にしなくていい。
 
この映画を見ていて唯一引っかかったのは、小さな話なのだが、警官の仕事として駐車違反の取り締まりをかなり下に扱っていること。もちろん誘拐事件やスピード違反逮捕に比べるとつまらない仕事なのだろうが……。一方、映画『踊る大捜査線』はテレビでしか見たことがないが、たしか所轄が担当する小さな事件の捜査が、本庁が担当する誘拐事件の重要な手掛かりにつながるという流れがあり、カタルシスを生んでいた記憶がある。もっとも、『ズートピア』にも「人助けをして、後から報われる」という展開はあり、部分的にも全く問題はない。ただ映画を見ていてふとそんなことを思い浮かべてしまい、本筋には関係ないものの、ちょうどブログのタイトルとしてよかっただけだ。
 
 
 
『ズートピア』はものすごく良い映画なので、ぜひ見てみてくださいね。こんなに政治的な話をこんなに面白く作るディズニーはすごいし、大きな話ではかなわないなと思いました。

ここでの乗降禁止

劇場版響けユーフォニアム(総集編)を見てきたので感想を少しだけ。

僕が響けユーフォニアムで一番好きなシーンはカットされていました。また、カットされなかったシーンでも人物描写の関係で部分的に削られたところがあり、不満です。完成度の高い作品だからこそ、どう削っても不満のある総集編になると思います。本編が好きな人は本編を見ればいいし、まだ見たことのない人は本編の響けユーフォニアムを見るべきです。

総集編の追加シーンは演奏部分と、あと2期用のキャラの顔見せ?があっただけで、わざわざ見に行くものではありません。深夜アニメの総集編という商売については、2期や他作品のために仕方なくあるのだとは思いますが、基本的に本編自体にとってはマイナスだと思っています。ファンはがっかりするし、新規の人には劣化版を見せることになるからです。

個人的な作品の感想は書きません。

本編を見た時には気づかなかったのですが、田中あすかは部活を辞めるんですね。総集編で新たに描写が追加or変更されたのか、もとの自分の見方が悪かったのかはよくわかりません。2期では全国大会に加えて、そういうものが描かれるのでしょう。

2015年発売のアニソンランキング 5位〜1位

2015年発売の中で好きなアニソンを取り上げます。




5位 Star!! アイドルマスターシンデレラガールズ1クールOP
素晴らしい王道JPOPだが、歌詞も王道のアイドルソングで僕が聴くにはキツいものがあった。




4位 Exterminate 戦姫絶唱シンフォギアGXOP

Exterminate

僕はこういう曲が好きなので、こういう曲や、こういう曲をよく歌っているミュージシャンを知ってたら教えてください。



3位 トゥッティ! 響け!ユーフォニアムED

トゥッティ!

舞い上がる 高揚感



2位 僕たちはひとつの光 劇場版ラブライブ挿入歌(ED)

劇場版『ラブライブ!The School Idol Movie』挿入歌 「僕たちはひとつの光/Future style」 (デジタルミュージックキャンペーン対象商品: 200円クーポン)

この曲のYouTubeリンクが見つからなかったために紹介の仕方を変えることになった。まあ歌詞がネタバレ的?で、1分30秒だけ聞かせられないので仕方ないか。極めてポジティブな楽曲で、転調があるだけで好きになりそうではあるが、楽曲全体としても好みである。



1位 Shine!! アイドルマスターシンデレラガールズ2クールOP

Shine!!

メッセージとしては、アニメとの相乗効果が大きい。多人数ボーカルは本来嫌いなのだが、JPOPとして音の置き方が完璧だったので仕方なかった。歌詞は一部かなり適当(歌としての通りの良さを優先しすぎている)ではあるが、メッセージの方向性は好みなので気にならなかった。2015年の1位として文句はない。

今年は全く音楽を漁ることができなかったが、それでもそれなりに良い曲に出会えた。やはりアニメタイアップソングは偉大だなと思う。

『GAMBA ガンバと仲間たち』感想4 2回目を見ての感想 ボーボと潮路

この映画を1回目に見た時には、どうしても原作小説との比較という形になってしまったが、2回目の今回は小説とは切り離して見ることができた。結果として、今回のほうが素直に良い映画だと思えた気がする。今回は3Dで見たのだが、3Dとしての感想はよくわからない。飛び出るシーンは飛び出ていたけれど、ニンテンドー3DSの3Dと同じように、個人的にあまり感動はなかった。ただ、グラフィックがとても丁寧に作られていることはよくわかった。

 
『ガンバと仲間たち』では、ひょっとすると原作小説以上に、ボーボがしっかりと描かれている。傷の手当を受けながら、ガクシャがワンテンポ遅れて大丈夫だと言うシーン(つまりボーボは助からないということ!)は1回目でも泣けたが、それだけではない。忠太の説明を聞きながら島ネズミの置かれている状況に恐怖し、共感し、寄り添っていたボーボ。今までぼんやりしていたけれど、みんなの役に立てて嬉しいと話すボーボ。イタチから忠太を守り、忠太を案じながら死ぬボーボ。この作品で最も命を輝かせたのはボーボであろう。まさにそれは、僕のあるべき姿でもあると思う。
 
潮路は強い。弱気になるガンバを励ましたり、希望のソテツで自らを奮い立たせガンバを救い出したりと活躍するが、自分の父親が目の前で死にながら「持ち場に戻るのよ」と振る舞うところに一番強さを感じた。強すぎると言ってもいい。父親である忠一の強さに呼応するように、忠一の死後、より彼女は強くあろうとしたのではないだろうか。原作ではもっとおしとやかで、こんなに強くはなかった気がするのだが、忠一の死があるぶん説得力のある変更点だと感じた。
 
前の感想で、この映画には間が無いと述べたが、それはあくまで原作小説目線での感想であって、映画を映画として見るとしっかりしていることが今回わかった。ガンバがマンプクと語り合うシーンもあるし、導入部分にも時間をかけている。マンプクはいちいち面白い顔をしているし、島ネズミは同じ顔ではなく子どもや老人が多いことがわかる。上映中も周りから感動して泣く声が聞こえてきた。
 
不満を書くとしたら、再びの言及になるが、やはり飢えを描いていないのが残念。ノロイたちが食べ物を用意して、そこに行きたがってしまう理由として飢えがあるのに、本作では踊りでの幻惑に一本化しているため、じゃああの食べ物の山は何なんだという気分になる。宴だと言って踊っているし矛盾はないのだが……。それから、野村萬斎のセリフで何を言っているのかよくわからない部分が1箇所ある。ノロイの怪しさ、狡猾さを出す演技としては全体的にさほど問題ないだけに、音響サイドがわかるように調節してほしかったところだ。
 
マンプクはかなりネタキャラ度が強くなっているが、それがガンバを信じて笑うシーンでの本気さにつながっていて意味がある。それよりもイカサマの描かれなさが寂しい。きっちりサイを振るシーンは2回?(両方とも1・1)で、少し斜に構えただけのボーボの脇役といった格好になってしまっている。まあこれは完全に個人的な愚痴であり、映画としては問題ない範囲であろう。
 
実は1回目の時点ではこの映画をあまり良いとは思っておらず、原作ファンとして"イカサマ"をし、原作を薦めるために映画を評価するフリをしていた面があった。しかし今回見て、絵が綺麗なだけじゃなく、お話としてもまともな良い映画だということがわかった。3回目を見る機会があるかどうかはわからないが、また見てもいいという気分にはなっている。エンディング曲の雰囲気や、東京の描写に無駄に力を入れているところからすると、白組が『ガンバとカワウソの冒険』を映画化したらかなりの名作になりそうな気はするのだが、そんな機会はなさそうだ。
 
潮路と忠太でおねショタ書きたいです。

『GAMBA ガンバと仲間たち』感想3 原作小説から削られた部分について

原作『冒険者たち』にあるシーンの中で、映画では完全に削られているものがいくつかある。最初の記事で述べた、映画にはいないネズミが頑張るシーン、特にノロイ戦でのバレットの踊り、バスとテノールの歌が無くなっているのは残念だ。それだけではない。オイボレはもともと島のネズミで、ひとり逃げ出したものの戻ってきたという設定なのだが、彼が死ぬシーンが変更され、島のネズミ(忠太、潮路の父親)が死ぬシーンになっている。これはオイボレを出さないという前提のもとでは良改変であるが、オイボレは一度島から逃げ出しながら若者たちのために(ノロイに釣られた若者たちの目を覚まさせるために)死ぬという極めて重い経歴を背負っていて、忠太と潮路の父親が身を呈するのとは意味が変わってくる(意味が削られてしまう)のではないだろうか。また、この死ぬシーンについても、原作小説と映画表現ではだいぶ違うものになっている。原作ではオイボレがイタチたちのもとに着くと、イタチの頬を一発叩き、それに対して周りのイタチが飛びかかり、周りのイタチによる輪が解かれるとオイボレは跡形もなく消されてしまう、というものなのだ。僕はこれを映像化するなら、骨だけになったオイボレの姿を見たいと思っていたのだが、全年齢向けの『GAMBA ガンバと仲間たち』ではそうはならない。忠太と潮路の父親(一郎?)はイタチに飛びかかるが、イタチに叩き飛ばされ、海に落ちる。死の表現としては温いと言わざるを得ない。児童文学で表せる死というものが、どれだけ自由なものであるのか、とてもよくわかった。

他にも、七郎と高倉ネズミのシーンが無くなっている。このシーンはガンバたちが絶対正義ではないという相対化をもたらすもので、イカサマの格好良さも相まってとても重要なのだが、映画では高倉ネズミたちはあくまで「島ネズミの一部反抗勢力」にさせられてしまっている。高倉のシーンや「お前らが来なければイタチにバレず平和に暮らせたのに」という話が無くなっているのだ。オイボレの代わりに一郎が死んだことで改心し協力的になるのだが、これも子供向け映画として尺を短くした結果だろう。改変自体はそれほど悪いものではないのだが、意味を失っている。山、高倉ネズミあたりのシーンはイタチがいつ来るかという緊迫感に包まれているもので、その緊迫感が無かったのも残念だ。
僕の一番好きなシーンである、イカサマが丁が出たと嘘をつき島ネズミたちの背中を押す場面も無くなっている。イカサマはボーボとの関係性については残されていて、ガクシャはヨイショとの友情がしっかり描かれており、それはそれで良いのだが、ガクシャとイカサマの対立、そこから憎めない間柄になるというのも『冒険者たち』の魅力であった。これが3時間アニメで、PG-12であったなら良かったのにと思うが……やはり尺の問題というのは大きい。
とにかく、イカサマがサイを振るシーンが少なすぎる。ことあるごとにサイを振るイカサマが魅力的なのに、ばっさりと削られているのだ。それだけではない。イタチがいつ来るのかという恐怖感、水や食糧の確保がままならない恐怖感、それが無くなっている。これらは当然描くのに時間がかかるのだが、『冒険者たち』において外せない要素であったし、見られないのは悲しい。

映画というメディアが大変魅力的なものであるのは確かだけれど、『ガンバと仲間たち』ではあるべき描写が削られていたように思う。それは間だ。映画版ではツブリたちのもとを去った後、山に行き、残されたソテツの花を見つけ、潮路を見つけるという流れなのだが、高倉の話がないばかりではなく、イタチが来るかもしれないという恐怖感や、食糧が確保できないことへの危機感といったものが全くなかったし、夢見が島の美しさや、ガンバが思いを吐き出したりする場面もなかった。必要な場面必要な場面をつなげる映画作りでは、間が無くなってしまう。『指輪物語』では序盤、裂け谷につくまでの間はフロドたちがナズグルに追いかけられるのだが、ここの頼れるものがいないという感覚は『ロード・オブ・ザ・リング』でもよく出ていた。例えば、表現しづらいが、ガンバのキャラクターは『冒険者たち』と『ガンバと仲間たち』では微妙に異なっていて、小説でははじめもっとだるそうなキャラクターで、それがマンプクに誘われて港に行って、忠太と出会って、助けないわけにいかない!と義憤にかられて……という流れになるのに、映画では初めから元気一杯で、なんかこれは違うと思うものになっている。このあたりも悲しい。時間の問題が大きいとは思うが、『ガンバと仲間たち』は『冒険者たち』の映画化としては、作品の方向性が変わってしまい残念なものになった。

それから、忠太の声が自分の感覚からはかなり離れていて驚いた。俺の中での忠太はもっとしっかりとした人物で、あんな萌えショタのような声は出さない。これはキャラ変更か私的な感覚の問題なのかはわからないが、どちらにしろ個人的には不満だった。マンプクについては、ウケ狙いに使われた部分があり(ガクシャが踏み台にするところとか)あれも少し不満ではある。どちらにしろ、おそらく原作は少年のための冒険小説なのだから、映画を見た人には原作を読んでもらいたい。小説のほうがいいぞ。

『GAMBA ガンバと仲間たち』感想2 映画版『冒険者たち』の良い点

予定を変更して第二回は映画版の良かったところについて書いていく。変更点に絡む場合は原作の内容についても言及する。

 
原作再現としては、「こっちも海だ!」のシーンをやってくれたこと。ガンバは海を夢見て住み慣れた我が家を後にしたのだから当然といえば当然だが、冒険を感じさせる名シーンだ。また、イタチの造形はとても良かった。とにかく怖い。ガンバ、ヨイショ、イカサマの3匹でイタチ1頭を倒すシーンはおそらく原作にはなかったものだが(原作において、イタチは見えている暴力性よりも未知の怖さが強調されている)、非常に良いアクションシーンであった。
 
映画オリジナルとしては、船でまずボーボが姿を見せるといった伏線を入れた上で、ボーボの死を忠太にも悲しませたのはよかった。原作の儚い死とは違うが、映像的に、これもまた良いなと思える方向の改変だ。また、原作ファンだからこそ驚くのだが、オオミズナギドリたちの攻撃でノロイが死なず、さらに巨大化して襲いかかってくる。これもまた良改変で、原作ファンだからこそビビる。ノロイの首筋に皆が噛みつき、ネズミたちの力でノロイを沈めるのだが、ノロイが沈んだ後、ガンバの姿が見えない。ガンバはノロイと共に沈んでいき、さらに、ノロイが最後に伸ばす手がガンバを掴もうとするその瞬間、潮路がガンバを救い出す。原作ファンにとってはここに来て未知の展開なので、ガンバが死んでしまうかもしれない、と、かなり緊張感をもって見ることになる。最終的には、ガンバも潮路も生き残るのだ。ボーボは死んでしまったけれど、原作よりも素直なハッピーエンドになっている。潮路に別れを告げ走り出す場面は、いかにも日本ドラマらしいが、ベタでありながら良い。話としては原作の悲劇性のほうが好きだが、潮路の父親が犠牲となって皆を守る(父親を止めようとする忠太を潮路が制止する)→潮路が危険を承知でツブリと共に海に飛び込みガンバを救い出す、というのは、きちんと命の物語として成立していて問題がない。もちろん、個人的には「ぼくは、ぼくは君を愛して……」のほうが好きだ。これはまあ、男の感覚というやつなのかもしれない。花言葉なんかベタベタで、忠太に明かされる前にわかってしまったのだが、ああいう恋愛表現もまた良いものだと思う。昔見た僕の好きなアニメにも似たようなものがあった(そちらでは、花言葉は秘密にされた)。
 
マンプクが女に惚れる→子どものあやし係になる→その子どもが女の子どもである(惚れた女が既婚者)というネタは、あってもなくても良かったと思う。こういう「惚れた女に子どもがいることで恋が破綻したことを示す」表現ってよくあるけれど何か元ネタがあるんですかね。
 
原作では、最初の倉庫でのガンバとヨイショの格闘シーンで、かなりガンバが善戦したと思う(今確認したが、引き分けであった)のだが、映画ではヨイショがガンバを圧倒する。そして、ガンバはなんとかヨイショの脚に組みつき、たまたまヨイショが足元に転がっていたピーナッツを踏んで転ぶことで、ヨイショを倒し、ガンバはヨイショに認められる。これは、その後すぐにヨイショがノロイから逃げ出したことを明かすことで、ガンバより圧倒的に強いヨイショ、ヨイショより圧倒的に強いノロイ、という形で絶望感を与えるためのものであり、子ども向けにわかりやすい流れとなっていた。
 
このように、原作小説から改変されたもの、付け加えられたものがあるのだが、原作をそのまま見たかったという我儘な感情を抜きにすると、これらの映像表現はほぼ成功している。この作品はとてもしっかりした映画であるので、ぜひ多くの人に見てもらいたいし、これを機に原作小説にも触れてほしい。
 

 

冒険者たち ガンバと15ひきの仲間 (岩波少年文庫044)

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