映画『ルドルフとイッパイアッテナ』感想(ネタバレあり)

原作に忠実で妥当な映画化だと思う。以下ネタバレあり

 

スカイツリーをわざわざ風景に描いているのにもかかわらず、それ以外の日常は原作通り、つまり学校に猫が侵入できるし、セコムも鳴らない。悪く言えば変な映画。特に序盤はディズニーっぽくて、なかなか入り込めなかった。ブッチーが完全に洋画的道化師の役回りなのもディズニーっぽさを強めている。

しかしルドルフに本を見せ文字を教え始めたあたりから慣れたのか、そのような違和感はなくなった。デビルの倒し方も原作通り。派手な演出もないので、本当にそのままなのだが。

あまり野良猫としての困難さが描かれていなくて、例えば学校の窓を閉め忘れていて、これで人間に気づかれて猫が入れなくなるシーンがあるかと思ったのだが、なかった。そういった不満はある。

 

問題はここからで、僕はこの映画を『ルドルフとイッパイアッテナ』の映画化だと思って見に行っていたこと。違うんですね。このデビル戦までがあまりに早くて、上映時間に合わないぞ?と思っていたら、ルドルフが岐阜に帰る話をやり始めた。『ルドルフともだちひとりだち』の映画化だ。これには驚いた。ナンバープレートを見ながらヒッチハイクを繰り返し、岐阜を目指すルドルフ。もちろん結末を知っているので、涙が止まらない。岐阜になんとか到着し、リエちゃんの家に入るところで、劇場の子どもから「死んだの?」と声が上がった。いい読みだ。でもリエちゃんは死んでいない。この結末は死より残酷かもしれない。

 

全体的に破綻はなく、安定した映画化だと思う。あえてこの映画を薦めるほどでもないけれど……。原作を読み返したくなった。イッパイアッテナのCGモフモフがたまらん。鈴木亮平のイッパイアッテナはいわゆる芸能人枠とは思えない、150点の演技。他の声優にも違和感はなかった。お話としてはもっと血が見たい気がするけれど、仕方ない。文庫化もされたし、本が読める人は本を読めばいいと思うけれど、悪くない映画化だった。

 

 

ルドルフとイッパイアッテナ (講談社文庫)
 

 

 

ルドルフともだちひとりだち (講談社文庫)
 

 

『シン・ゴジラ』感想(完全ネタバレ含む)

ゴジラシリーズはハリウッド版含め未見なので、ゴジラ完全初見。陸上自衛隊やテレビ局各社協力のもと作られている作品だからか、極端な作風ではない。良い映画だと思う。

 

この映画が伝えたいことは2つで、1つは東日本大震災の遺した傷痕、もう1つは政治家の仕事だ。巨大生物が東京湾から上陸してくる様は、東日本大震災による津波そのもので、見ていてかなりつらくなる。後から政治家が被災現場を見るシーンがあり、ここで製作者の意図が東日本大震災であることに気づく。明らかに狙って、巨大生物の上陸を津波に似せている。僕ですら泣いてしまうほどなので、より直接被災した人達が見られる映像なのかどうか。ただ、巨大生物が帰っていった後、まだ法律の制定すらできていないのに、あんなに早くビルの完全復旧が進むはずがない。一時の平和に皆が安心している様を示したかったのだろうが、東日本大震災の爪痕を描く作品だからこそ、あのカットには納得いかなかった。

 

政治家についての描き方が極端ではない。総理大臣も愚者ではないし、それは主人公が正しい政治家であるということを派手に強調しない作りになっている。ディスプレイに表示された生物の原子構造を見て議員までがそうか!と頷くところはかなりツッコミたくなるポイントだが。一部では噂があった「憲法9条があるから攻撃できない」などというシーンは全くない。このようなデマを流すのはやめてほしい。人物描写はほとんどなく、例えば序盤では政府の動きの遅さを咎めるシーンなど、かなりわざわざセリフに説明させることが多い。深くはない。ただ、明確に反核をうたっている。そこは外していない。

 

災害表現は強烈で、ゴジラの恐ろしさが伝わってくる。散々ビルがなぎ倒され、官邸機能の移転を決定させられた後の、あの強烈な熱線。絶望しかない。また、ゴジラに対する自衛隊や米軍の攻撃にも迫力があり、重さがある。その一方で、泣き叫ぶ被災者の映像がほとんどないのが残念というか、暗い映画になっていないポイントでもあるというか。明るい映画なんですよ。ゴジラは絶望を見せるけど、その絶望を深く深く見せる映画ではない。ゴジラによる絶望よりは、人間の希望を政治家、科学者を通して描いている映画であって、僕が「良い映画」と形容したのもそういうところがある。

 

作戦遂行直前にアメリカ・国連による核攻撃が炸裂して、ゴジラが増殖し、人類滅亡に至る映画のほうが見たかった。正直そっちのほうが見たかった。でもまあ、こういう人類の希望を描く映画でもいいんじゃないですか。

投票箱が空であることを確認してきました!!!

やったぜ。

 
参議院議員選挙投票日です。投票箱が空であることを確認するために、本当は徹夜しようと思っていたのですが少し寝てしまって、はっと起きて急いで支度して投票所の前まで来ました。6時10分。一番乗りでした。6時24分に2人目のおじさんが来て、この2人が確認役となりました。
 
待っていたら、3人目と4人目のおじさんが話している内容が面白かったです。
「戦争反対だけど、中国になめられちゃいけないからねえ」
「小沢さん15%にするって言ってたけど、今は8%に変わったんだよね」
蓮舫なら中国人が味方になるしいいかも」
そういう考え方をするのか、と参考になりました。特に、小沢さんが消費税を15%にすると言っていたのは、おそらく民主党政権の頃のことなので、そういうことをちゃんと覚えているんだなと感心しました。
 
 

投票箱を確認する人は事前に名前と投票所入場券の番号を記録されます。不正があったら困りますからね。そして7時、投票所の中に入り、投票箱が空であることを確認します!!!

 
 
なんだかあっさりで拍子抜けしました(笑)
 
 
ついで、って感じで、僕なんか真面目に確認して「空です」と言っているのに、おじさんの方は「はいはい」といった感じで、さっと確認する素振りだけして投票ブースに向かっていました。まあ、箱の中に他の紙が入っているわけがないし、職員も見てるし、職員も基本的に不正をするつもりはないわけで、どうしても形式的な作業になりますよね。
 
でも、僕は学校でこの仕組みを習ってからずっと投票箱の中を確認することに憧れていたので、一回できてよかったです。開票作業の時に出しやすいように、広い面のところがパカっと開くんですよ。豆知識です。これからはもうやらなくていいかなと思います(笑)一回できたので、これで「これやったことあるんだけど」って自慢できますからね。
 
投票所に行く前に投票先ははっきりと決めておいたほうがいいと思います。地域により違うかもしれませんが、漢字がずらずらと並んでいて、横幅が圧縮されているので非常に読みにくいです。僕みたいな視力に問題のない人にとっても非常に読みにくいです。全く事前知識を入れずに投票所に向かっても困るだけですし、うろ覚えだと見つけられない可能性があると思います。書く名前は事前に選挙区、比例の一つずつ、はっきりと決めておくことを強くおすすめします。

『平和憲法の深層』(古関彰一)

報道2001』で片山善博が、投票する前に憲法の本を新書でもいいから1冊読んでほしい、ということを言っていた。私もそう思う。

タイトルからは想像つかなかったのだが、この本は歴史を記したものである。日本国憲法が作られたあの時にどのようなことがあったのか、それを解き明かしている。歴史的な記述が大半を占めるが、新書らしく、近年の改憲騒動についての政治的な記述もある。しかし、政治的な部分については明確に政治的だとわかるものになっているので、読む際に警戒する必要はない。
この本によると、日本国憲法における『平和主義』とは昭和天皇のことばから取られたものであり、また生存権等の社会権については鈴木安蔵による憲法草案から取られ、GHQによる日本国憲法に反映されたという。
ただ個人的には、これを根拠に「押し付け憲法論」を否定するというのは阿呆らしいと思っていて、どちらにしろアメリカによる占領下でアメリカの作った憲法をもとに受け入れたのだから日本国憲法は押し付けられたものであり、しかし本文にあるように当時の日本国民はそれを押し付けられたから問題だなどと言った阿呆なことは考えなかったし、本文中に引用された加藤周一の言うように「よく消化されて、もはや自分のものとなっている」わけで、押し付けられたからなんだという話と考えている。
政治的な話としては「平和」という言葉の使い方である。戦時中から昭和天皇は「平和」のために戦争を行ってきており、しかし敗戦後すぐに「平和国家の確立」をするということを勅語として出している。これからは字面だけの「平和」ではなく、平和国家の確立、平和国家の建設を達成するんだという意志がそこにはあったのだ。しかしこの理想は数年で崩れ、自衛隊が組織され、冷戦に巻き込まれ、日本は戦争国家としてこの60年以上を過ごしてきた。本文中ではそう書かれていないが、『平和安全法制』なるものはまさに偽りの「平和」使用の最たるものであり、吹き出しながら、日本は戦中なのだなということを強く意識した。

平和国家の建設のために、著者は国家連合による警察権をもった組織を勧めているが、その評価は脇に置いておこう。今現在まだ国家の軍隊による爆撃、虐殺という構図が続いている理由は、単に手段を誤っているのではなく、軍隊側に対して虐殺行為を推奨する何らかの力が働いているのではないか、と感じるからだ。
軍縮」が全く言われなくなっているというのはその通りで、60年以上放置されてきたことにより、日本国憲法が無力とされていることが悔しい。平和国家を建設するために何ら努力をせず、日本国全体で日本国憲法を形骸化させてきたことがどれだけ重い事実であるのか。「軍拡」に未来がないことは誰の目にも明らかなのだから、本気で世界平和を実現するために動かなければならない。あの瞬間、アメリカにより日本国憲法を押し付けられ、数年で朝鮮戦争により豹変したアメリカに軍隊(警察予備隊自衛隊)を押し付けられた。日本国民が誇りを抱き生きるためにはどちらが必要なのか、皆さんも胸に手を当てて考えてほしい。日本の国是として何が相応しいのか、どんな日本なら愛せるのか。何のために経済成長し、科学技術を発展させ、日本そして世界から貧困を解消してきたのか。字面だけではない平和国家の建設こそ我々が成すべきことなのだと私は強く思う。

平和憲法の深層 (ちくま新書)

平和憲法の深層 (ちくま新書)

シャーロットお姉さんによる参議院議員選挙の選挙制度、投票方法解説

皆さんこんにちは。シャーロットよ。

今日は参議院議員選挙の投票方法について解説するね。え? 投票所に行って適当に書けばいいって? まーそうなんだけどさー。でも、せっかくの機会だし、有意義な投票にしたいじゃない。んん? どうせ候補者名と政党名を書けばいいんでしょって? いやさ、そう単純じゃないのよ実は。やっぱりあなたには教える必要がありそうね。

 

参議院議員選挙では、選挙区制比例代表制の二種類の投票をいっぺんに行うの。

選挙区制は、みんなが住んでる都道府県ごとに候補者が出て、単純に獲得票数の多さを競うのよ。一人しか枠がないところは一番得票した人が、枠が二人あるところは一番目と二番目に多く得票した人が当選するわ。単純ね。

選挙区制のポイントは、誰が当選しそうとされているか、ってこと。もちろん、みんなの政策を眺めてみて、一番良さそうな人に投票するというのもオーケー。でも、自分の投票する人がまるで当選しそうになかったり、反対に何人かある枠のうちぶっちぎりで当選しそうってこともあるのよ。例を見てみてね。

例A 選挙区 改選議席2 得票予測

リホコ 150000票

ハルカ 30500票

サエ 30000票

ツカサ 20000票

ミヤ 2000票

 

あっ、わかりやすいように票数で例を出しちゃってるけど、選挙前の新聞記事では「先行」「接戦」「猛追」のような表現で書かれるよ。例えば、上のような票数が予測されている時は「リホコが有権者に広く浸透している。ハルカとサエは激しく競り合う。ツカサがこれを追う。ミヤは独自の戦い。」みたいな感じかな。こういう予測が出たときには、ミヤに投票してもどうせ当選しないし、リホコに投票しなくてもどうせ当選する、ということがわかるよね。もちろん、ミヤちゃんのことが好き!他の候補みんな嫌い!って感じなら、ミヤちゃんに入れればいい。でも、選挙後に結果として残るのは、当選か落選か。ミヤちゃんに票入れても、握手してもらえるわけじゃないし。だから本当はミヤに入れたいけど、サエよりはハルカ先輩を当選させたい、そう思ったら、こういう時はハルカに入れるのがいいかもね。

 

参議院議員選挙比例代表制は、非拘束名簿式の全国比例なの。どういうことかというと、政党名ではなく候補者名を書いてもよい、地域ごとのブロックには分かれておらず比例で出る誰にでも投票できる、ってこと。でもちょっと待って! 候補者名を書く時には注意しなきゃいけないことがあるの。

例B 比例代表 アンコウ党

サオリ 400000票

ユカリ 2000票

ミホ 1500票

マコ 5票

ハナ 3票

政党名 3000票

 

この場合、アンコウ党は政党として名簿登載者の個人得票と政党票を合計した406508票を獲得したことになるわ。この後、政党ごとにドント式って方法で議席が割り当てられるんだけど、ドント式はちょっと説明難しいのでWikipediaでも見といてね。そうやってドント式で計算して、もし割り振り議席が4つになったら、個人得票の多い順に4人が当選するの。つまり、上の例だとマコまでが当選ってことになるね。(ちょっとこの例は極端だけど。)実際に票を集めたのはサオリだけで、政党名もユカリもミホもそんなに得票してないし、特にマコなんて5票しか取っていないのに当選することになっちゃう。まあ、アンコウ党はサオリを中心にしてみんな仲良く一致団結してるみたいだし大丈夫そうだけど。とにかく、非拘束名簿式の比例代表制候補者名を書けるけれど、その政党を支持したことになってしまうのに注意ね。逆の例として、当選の見込みは全くないけれど個人的に好きな人が名簿に載っていて、名前を書いて投票した場合も、同じ政党に個人名得票で上回る人がいたら、自分が投票していない人の議席獲得のための一票になってしまう、ということ。参議院議員選挙比例代表では候補者名も書けるけれど、まず政党名でどこに入れるかを判断して、その比例名簿の中で当選させたい人を探して候補者名を書く、こう覚えておこう。どうしても好きな候補者がいる場合は、得票予測を見て、その候補者のいる政党が比例でどれだけの議席を獲得できるかに注目ね。

 

ふぅ、疲れた。お姉さんの話ちゃんと聞いてくれたかな? 投票日は7月10日。だけど期日前投票もあるから、7月10日空いてないって人は先に投票を済ませちゃおう。考えて投票しないのはいいけど、何も考えず投票しないのはもったいないとお姉ちゃんは思うな。数年に一度のイベントなんだし、国政選挙は楽しまなくちゃ。特に参議院議員選挙政権選択選挙ではないから、気楽に投票できるのがいいよね。じゃあそんなところで……って、なんで寝てるのよー! やだもー!

映画感想「ずっと前から好きでした。〜告白実行委員会〜」

客層:ニコニコブスビッチが二組、気持ち悪い男が二人、気持ち悪い私
ニコニコブスビッチは内容を知っているらしく隣のビッチに解説している。私は上映を待っている。ニコニコブスビッチという単語はアメリゴベスプッチに似てて面白いなと思った。このへんで予告編が始まって、以後は見終わった後に書いた文章になっている。


なぜこんな映画を見に来たのか、言い訳をしておこう。ツイッターにななみねというアルファツイッタラーがいて、彼が何回もこの映画を見て面白い面白いと言っているのだ。アホかと思った。タイトルを見てみろ。「ずっと前から好きでした。〜告白実行委員会〜」こんなアホなタイトルの映画が面白いわけがないだろう。公式サイトを見るといかにもスイーツ(笑)なイケメンとちゃお女子が並んでいる。おまけに原作者がニコニコバカ野郎ときた。死んでも見るものか。
しかし、運が悪いことに、私の財布には1000円で見られる割引チケットが入っていたのだ。話は遡って約1年前、私はある映画を見るためにとあるシネマグループの会員になった。その映画は面白かったし、たしかあと割引券で1回見れば元がとれるくらいだったので、その時は満足していた。その後、元を取ろうと時々上映スケジュールをチェックするのだが、その映画館で扱われる映画はアイドル物、ニコニコ物ばかりで全く見る気にならない。毎週チェックしていれば以前見たような良い映画をやった瞬間もあったのだろうが。そうして、割引券の有効期限が迫ってきていた。他に見る理由のある映画はない。僕はため息をつきながら、ニコニコブスビッチとともに劇場のシートについたのであった。


結論から言うと、この映画は面白い。


面白くないか面白いかで言ったら面白いというくらいで、必見だとか映画史に残るというものでは全くない。極めてスタンダードな映画だけれど、戦前予想されていたようなスクリーンの前から逃げ出したくなる映画ではない。


以下ネタバレを含みます。


「ずっと前から好きでした」とは、冒頭の団子ビッチの告白セリフであり、いきなり言ってしまうのだが、直後に恥ずかしがってそれを冗談、予行演習ということにしてしまう。そうして、なんだか深夜アニメのオープニングのような映像、主題歌から始まるのだが、深夜アニメとは違い1時間程度で終わる作品のため、延々と寒いやり取りを繰り返されないところが反ラブコメ派としては助かっている。
団子ビッチ、アカリ、合田美桜(名前がわからなかったのでWikipediaを見ました)の3人は仲が良くて、団子の恋愛を2人は応援しつつ、2人もそれぞれに恋していたり、恋していなかったりする。ちなみにこの3人で男を取り合ったりはしない。


面倒なので結論から書くと、このアニメの作者は童貞なのかなと思う。望月くんという俺みたいなイケメンがいるのだが(ちなみにこのアニメに出る女は全員外見美少女であるし、男は全員外見イケメンなのだが、普段美少女動物園でブヒブヒ言っている者としてはここを批判できないため気にしないことにする)、彼の恋愛観が童貞すぎる。そして恋愛がうまくいってしまう。望月くんの急な告白(何しろ会話したことがそもそもほとんどないのだ!いきなり告白っておかしいだろ!これぞ童貞の妄想!)が成功し、めでたく仲良くなるのだ。普通はいきなり告白すると気持ち悪がられ嫌われるだけなので、皆さんは注意した方がいい。しかし、望月くんの告白に対してアカリが付き合うと返さず、(イケメンなので)拒否もせず、あくまでケーキ食べに行こうという形でキープを選択しているあたり、アカリはなかなかのやり手、ビッチであり、今までもそうやって何人も男をたぶらかしてきたのであろう。望月くんに同情する。


一方の団子ビッチはひどいもので、冒頭の告白相手ではない別の男、灰色男に誘われ、ハニーワークスの(これはハニーワークスの宣伝アニメなので劇中にハニーワークスが出てくるのだ。女ボーカルに男バンドがついている、まあ平たく言うと内部でヤッてそうなバンドという感じの奴らである)ライブに一緒に行ってしまう。自分のライブを不倫に使われるハニーワークスは、これでいいのか?イメージ悪くならないか?一応そのライブ中の歌詞で団子ビッチが過ちに気づくという演出があるのでいいのか。そうしてライブの帰り道、灰色男が団子ビッチを抱きしめる。そこに告白相手のイケメンが現れてシュラバラバンバ、修羅場になるのだ。イケメンは灰色男が公道で女を抱きしめたことに対し「TPOがなってない」とか言い出すけど、周りに全然人いないぞ?チャリで横を通るオバサンくらい出してもよかったと思うが、むしろTPO的にも何も問題ないのにもかかわらず、必死になって女を引き剥がすイケメンを強調したセリフなのかなと思う。最終的にはイケメンと団子ビッチが結ばれ、灰色男は涙を流す。ここで男ならこの灰色男にまともな恋の始まりでも予感させてやれよと思うのだが、そのまま悲劇として終わらせるあたり、いわゆる女向けアニメだなと思う。灰色髪のイケメン悲恋者、幼なじみパワーの前に運命的に敗れ去る。まさにドストライクでそこらへんの女はキュンキュンだろう。


このアニメの良かったところは、美男子美少女なんてそもそも恋愛に苦労しないだろリア充どもめ!という点を除き、他に違和感を生じさせる展開がなかったところだ。かなり強調された演出では、団子ビッチは灰色男とのライブに他所ゆきの服を着て行くのだが、イケメンと一緒に歩いたり最後イケメンに告白するところでは下にジャージを着ている。普段顔アップが多いこのアニメにあって、ジャージを履いている足元をはっきりと映すシーンがある。これは「そのままのキミを幼なじみに受け入れてもらう」という意味だろう。一箇所でもこういうところがあるだけでかなりまともに作品として見られる。男が車道側を歩いているのも注目に値する。世の中のニコニコ中高生どもはこの映画を見て学ぶといいだろう。童貞丸出しな望月くんの恋愛観を除いて。あと、地味に気に食わなかったのが箸の使い方で、食物を挟んだ後に箸を上に向けて食べている。これから見る人は弁当のシーンでアカリの箸の使い方を見ていてほしい。もちろん作画、アニメとしての都合なのだろうが、品がないなと思った。


さて問題は、この映画が女にウケるのか?というところ。団子ビッチを愚かに描いているし、妙にベタベタするシーンもエンディング後の30秒くらいだし、男同士が異常に顔を近づけたり、男が女の耳に息を吹きかけたりするシーンもないし。(ちなみに頭ポンポンはあります。実は隠していたのだけれど、大好きな映画ズートピアで唯一不満なのは頭ポンポンがあるところです。ここでこっそり不満をぶちまけておきます。)こんなので一般的な女が面白がるのなら、いわゆる女向けコンテンツというのはそこまで女だけの方を向いて作られなくても良いのではないか?と感じた。スクリーンのキャラクターが笑ってて観客が白けるような、変にスベったシーンがない、それが良かった。ものすごく良いアニメかというとそんなことは全くないけど……でも悪くなかったよ。正確に覚えていないから書かなかったけれど、セリフ回しも工夫されているしね。イケメン教師がガンダルフだった。灰色男がかわいそうだなと思った。