本屋さんにおけるフェアという空間

今日たまたま本屋さんで書店員と仕入れ担当の人との会話を聞いてしまった。盗み聞きではない。たまたま自分が本を見ていたそばで話があったから聞こえてしまったのだ。

 

書店員は、足りない本について何何を10冊、何何を5冊と話した後に、今度フェアで◯◯◯◯をやるから◯◯◯◯◯を欲しいと言った。 すると、仕入れ担当者がなるほどと感心し、その後も会話が弾んでいるのだ。彼らはその本そのものや、その本周辺のジャンルについて精通しており、それぞれかなり理解していた。本の売れ行きに詳しいだけではなく、本の分類や在庫数を管理しているだけでもなく、本のエキスパートであることがよく伝わってきた。

 

 

 

我々は美術館を観覧する時、美術品を購入するために歩き回るのではない。その場で美術品を鑑賞し、キュレーターの提示する空間に浸ることを目的としている。一方で本屋さんではどうだろう。本屋さんに向かう際の心構えは、次のうちの一つ、あるいはいくつかが重なったものと考えられる。

 

一、目的の本を買う

書名がはっきりしていて、その本があれば買い、無ければ買わないという行動。

二、ぼんやりとしたあるジャンルの本を買う

例えば何か推理小説が欲しいとか、まんがタイムきららの4コマ漫画が欲しいとか。

二・五、ある著者の本を買う

村上春樹ノーベル文学賞候補(笑)だから何か読んでみようとか、本屋さんに行くたびに好きな大作家の本を一冊ずつ買うことに決めているとか。

三、ある物事を調べるために買う

目的が調査なので、複数の本を一度に買うことが多い。そうでなくても、ぼんやりではなくジャンルを細分化し、目的の小ジャンルに合う本を買う。

四、イベントのために行く

サイン会等のイベントが主目的であり、本を買うことが目的ではない。

五、なんとなく行く

なんとなく行く。ふらふらと歩き回り、欲しい本があったら買う。

六、他の目的までの時間つぶしとして行く

なんとなく行く。欲しい本を探すということをしない。買わないことが多い。

 

一般に本屋さんに行く目的としては一から三だが、四から六についても本屋さんの役割として考えられていると思う。そして、四から六については、美術館と重なる部分があるのではないだろうか?

美術館の空間をキュレーターがつくるように、本屋さんの空間を書店員がつくる。棚には、平積みには、フェアには本屋さんの思想が表れる。我々が一から三の目的で本屋さんに行くときでも、そんなことを意識してみると、本屋さんの中を歩き回ることが更に楽しくなるかもしれない。

 

 

 

微熱空間 1 (楽園コミックス)

微熱空間 1 (楽園コミックス)

 

 

『明仁天皇と戦後日本』(河西秀哉)

私の中で天皇といえば明仁だ。平和を愛し、被災者の言葉に耳を傾け、内閣総理大臣最高裁判所長官を任命し、褒章を授与する存在。私は個人的に今上天皇を緩やかに尊敬しているが、なぜ尊敬しているのかはよくわからない。

 

この本では、明仁天皇が皇太子だった頃から非常に政治的な存在であったことが書かれている。皇太子の頃からこれだけ色々な取り上げられ方をされ、戦争を起こしてしまった昭和天皇に代わる日本の戦後を象徴する存在として政府、マスメディアが一体となって利用したというのには驚く。そして皇太子としての政治利用が済んだ後には、明仁自らが戦後日本の象徴としてあるべき姿を模索し、行動として示していく。その平和を祈る行動原理の根本となったのは、戦後に受けた家庭教師からの教育であることも述べられている。

 

明仁天皇により作られた大衆天皇制は明確に大衆の支持を集めている。しかしそれは、天皇という伝統権威だけによるものではなく、皇太子時代からの政府、マスメディアが一体となった政治利用の上に、更に本人による平和への祈り、それを行動として示すための努力が積み重なってできたものである。明仁天皇が尊敬されているのにはちゃんとした理由があってのことであり、もしこれから先、未来の天皇が戦争を望んだり沖縄を切り捨てたり弱者を見下したりした場合、その瞬間から大衆天皇制は崩壊し、ただ名前だけの存在になるのではないかと思う。自分が今上天皇を緩やかに尊敬しているのは、決して異常なことでも、マスメディアの工作により操られているだけというわけでもないと、自分の中では納得がいった。

 

さて、明仁天皇が生前退位の意向を述べられ、世論調査ではその意向が支持されている。

「生前退位 認めたほうがよい」84% NHK世論調査 | NHKニュース

その一方で、政府は特例法で一代限りの対応にしようとしている。

「生前退位」 特例法軸に 政府、皇室典範に付則追加案 :日本経済新聞

これは明仁天皇の意向とは全く異なる。

象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば:象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば(ビデオ)(平成28年8月8日) - 宮内庁

部分的に引用するのは失礼かとも思うが、具体的には

我が国の長い天皇の歴史を改めて振り返りつつ,これからも皇室がどのような時にも国民と共にあり,相たずさえてこの国の未来を築いていけるよう,そして象徴天皇の務めが常に途切れることなく,安定的に続いていくことをひとえに念じ

と、これまでとこれからの天皇の歴史を考えての意向だと示されており、政府のやり方は明仁天皇の思いとは全く異なる。

当然、お言葉の前には政府関係者とのすり合わせもあったはずであり、その中でこのような明仁天皇の考えとは明らかに違う方針がなぜ上がったのか、不思議でならない。

 

この本を読んで、私は天皇制に対して、つかず離れずの距離でいようと思った。日本国天皇のために生きるのでもなく、天皇制を身分差別として撤廃を求めるのでもなく、緩やかに、天皇が良いことをしていたら天皇偉いなあと思う程度の距離でいいし、それを許してくれるのが大衆天皇制なのではないかなと感じた。

 

 

明仁天皇と戦後日本 (歴史新書y)

明仁天皇と戦後日本 (歴史新書y)

 

 

映画『ルドルフとイッパイアッテナ』感想(ネタバレあり)

原作に忠実で妥当な映画化だと思う。以下ネタバレあり

 

スカイツリーをわざわざ風景に描いているのにもかかわらず、それ以外の日常は原作通り、つまり学校に猫が侵入できるし、セコムも鳴らない。悪く言えば変な映画。特に序盤はディズニーっぽくて、なかなか入り込めなかった。ブッチーが完全に洋画的道化師の役回りなのもディズニーっぽさを強めている。

しかしルドルフに本を見せ文字を教え始めたあたりから慣れたのか、そのような違和感はなくなった。デビルの倒し方も原作通り。派手な演出もないので、本当にそのままなのだが。

あまり野良猫としての困難さが描かれていなくて、例えば学校の窓を閉め忘れていて、これで人間に気づかれて猫が入れなくなるシーンがあるかと思ったのだが、なかった。そういった不満はある。

 

問題はここからで、僕はこの映画を『ルドルフとイッパイアッテナ』の映画化だと思って見に行っていたこと。違うんですね。このデビル戦までがあまりに早くて、上映時間に合わないぞ?と思っていたら、ルドルフが岐阜に帰る話をやり始めた。『ルドルフともだちひとりだち』の映画化だ。これには驚いた。ナンバープレートを見ながらヒッチハイクを繰り返し、岐阜を目指すルドルフ。もちろん結末を知っているので、涙が止まらない。岐阜になんとか到着し、リエちゃんの家に入るところで、劇場の子どもから「死んだの?」と声が上がった。いい読みだ。でもリエちゃんは死んでいない。この結末は死より残酷かもしれない。

 

全体的に破綻はなく、安定した映画化だと思う。あえてこの映画を薦めるほどでもないけれど……。原作を読み返したくなった。イッパイアッテナのCGモフモフがたまらん。鈴木亮平のイッパイアッテナはいわゆる芸能人枠とは思えない、150点の演技。他の声優にも違和感はなかった。お話としてはもっと血が見たい気がするけれど、仕方ない。文庫化もされたし、本が読める人は本を読めばいいと思うけれど、悪くない映画化だった。

 

 

ルドルフとイッパイアッテナ (講談社文庫)
 

 

 

ルドルフともだちひとりだち (講談社文庫)
 

 

『シン・ゴジラ』感想(完全ネタバレ含む)

ゴジラシリーズはハリウッド版含め未見なので、ゴジラ完全初見。陸上自衛隊やテレビ局各社協力のもと作られている作品だからか、極端な作風ではない。良い映画だと思う。

 

この映画が伝えたいことは2つで、1つは東日本大震災の遺した傷痕、もう1つは政治家の仕事だ。巨大生物が東京湾から上陸してくる様は、東日本大震災による津波そのもので、見ていてかなりつらくなる。後から政治家が被災現場を見るシーンがあり、ここで製作者の意図が東日本大震災であることに気づく。明らかに狙って、巨大生物の上陸を津波に似せている。僕ですら泣いてしまうほどなので、より直接被災した人達が見られる映像なのかどうか。ただ、巨大生物が帰っていった後、まだ法律の制定すらできていないのに、あんなに早くビルの完全復旧が進むはずがない。一時の平和に皆が安心している様を示したかったのだろうが、東日本大震災の爪痕を描く作品だからこそ、あのカットには納得いかなかった。

 

政治家についての描き方が極端ではない。総理大臣も愚者ではないし、それは主人公が正しい政治家であるということを派手に強調しない作りになっている。ディスプレイに表示された生物の原子構造を見て議員までがそうか!と頷くところはかなりツッコミたくなるポイントだが。一部では噂があった「憲法9条があるから攻撃できない」などというシーンは全くない。このようなデマを流すのはやめてほしい。人物描写はほとんどなく、例えば序盤では政府の動きの遅さを咎めるシーンなど、かなりわざわざセリフに説明させることが多い。深くはない。ただ、明確に反核をうたっている。そこは外していない。

 

災害表現は強烈で、ゴジラの恐ろしさが伝わってくる。散々ビルがなぎ倒され、官邸機能の移転を決定させられた後の、あの強烈な熱線。絶望しかない。また、ゴジラに対する自衛隊や米軍の攻撃にも迫力があり、重さがある。その一方で、泣き叫ぶ被災者の映像がほとんどないのが残念というか、暗い映画になっていないポイントでもあるというか。明るい映画なんですよ。ゴジラは絶望を見せるけど、その絶望を深く深く見せる映画ではない。ゴジラによる絶望よりは、人間の希望を政治家、科学者を通して描いている映画であって、僕が「良い映画」と形容したのもそういうところがある。

 

作戦遂行直前にアメリカ・国連による核攻撃が炸裂して、ゴジラが増殖し、人類滅亡に至る映画のほうが見たかった。正直そっちのほうが見たかった。でもまあ、こういう人類の希望を描く映画でもいいんじゃないですか。

投票箱が空であることを確認してきました!!!

やったぜ。

 
参議院議員選挙投票日です。投票箱が空であることを確認するために、本当は徹夜しようと思っていたのですが少し寝てしまって、はっと起きて急いで支度して投票所の前まで来ました。6時10分。一番乗りでした。6時24分に2人目のおじさんが来て、この2人が確認役となりました。
 
待っていたら、3人目と4人目のおじさんが話している内容が面白かったです。
「戦争反対だけど、中国になめられちゃいけないからねえ」
「小沢さん15%にするって言ってたけど、今は8%に変わったんだよね」
蓮舫なら中国人が味方になるしいいかも」
そういう考え方をするのか、と参考になりました。特に、小沢さんが消費税を15%にすると言っていたのは、おそらく民主党政権の頃のことなので、そういうことをちゃんと覚えているんだなと感心しました。
 
 

投票箱を確認する人は事前に名前と投票所入場券の番号を記録されます。不正があったら困りますからね。そして7時、投票所の中に入り、投票箱が空であることを確認します!!!

 
 
なんだかあっさりで拍子抜けしました(笑)
 
 
ついで、って感じで、僕なんか真面目に確認して「空です」と言っているのに、おじさんの方は「はいはい」といった感じで、さっと確認する素振りだけして投票ブースに向かっていました。まあ、箱の中に他の紙が入っているわけがないし、職員も見てるし、職員も基本的に不正をするつもりはないわけで、どうしても形式的な作業になりますよね。
 
でも、僕は学校でこの仕組みを習ってからずっと投票箱の中を確認することに憧れていたので、一回できてよかったです。開票作業の時に出しやすいように、広い面のところがパカっと開くんですよ。豆知識です。これからはもうやらなくていいかなと思います(笑)一回できたので、これで「これやったことあるんだけど」って自慢できますからね。
 
投票所に行く前に投票先ははっきりと決めておいたほうがいいと思います。地域により違うかもしれませんが、漢字がずらずらと並んでいて、横幅が圧縮されているので非常に読みにくいです。僕みたいな視力に問題のない人にとっても非常に読みにくいです。全く事前知識を入れずに投票所に向かっても困るだけですし、うろ覚えだと見つけられない可能性があると思います。書く名前は事前に選挙区、比例の一つずつ、はっきりと決めておくことを強くおすすめします。

『平和憲法の深層』(古関彰一)

報道2001』で片山善博が、投票する前に憲法の本を新書でもいいから1冊読んでほしい、ということを言っていた。私もそう思う。

タイトルからは想像つかなかったのだが、この本は歴史を記したものである。日本国憲法が作られたあの時にどのようなことがあったのか、それを解き明かしている。歴史的な記述が大半を占めるが、新書らしく、近年の改憲騒動についての政治的な記述もある。しかし、政治的な部分については明確に政治的だとわかるものになっているので、読む際に警戒する必要はない。
この本によると、日本国憲法における『平和主義』とは昭和天皇のことばから取られたものであり、また生存権等の社会権については鈴木安蔵による憲法草案から取られ、GHQによる日本国憲法に反映されたという。
ただ個人的には、これを根拠に「押し付け憲法論」を否定するというのは阿呆らしいと思っていて、どちらにしろアメリカによる占領下でアメリカの作った憲法をもとに受け入れたのだから日本国憲法は押し付けられたものであり、しかし本文にあるように当時の日本国民はそれを押し付けられたから問題だなどと言った阿呆なことは考えなかったし、本文中に引用された加藤周一の言うように「よく消化されて、もはや自分のものとなっている」わけで、押し付けられたからなんだという話と考えている。
政治的な話としては「平和」という言葉の使い方である。戦時中から昭和天皇は「平和」のために戦争を行ってきており、しかし敗戦後すぐに「平和国家の確立」をするということを勅語として出している。これからは字面だけの「平和」ではなく、平和国家の確立、平和国家の建設を達成するんだという意志がそこにはあったのだ。しかしこの理想は数年で崩れ、自衛隊が組織され、冷戦に巻き込まれ、日本は戦争国家としてこの60年以上を過ごしてきた。本文中ではそう書かれていないが、『平和安全法制』なるものはまさに偽りの「平和」使用の最たるものであり、吹き出しながら、日本は戦中なのだなということを強く意識した。

平和国家の建設のために、著者は国家連合による警察権をもった組織を勧めているが、その評価は脇に置いておこう。今現在まだ国家の軍隊による爆撃、虐殺という構図が続いている理由は、単に手段を誤っているのではなく、軍隊側に対して虐殺行為を推奨する何らかの力が働いているのではないか、と感じるからだ。
軍縮」が全く言われなくなっているというのはその通りで、60年以上放置されてきたことにより、日本国憲法が無力とされていることが悔しい。平和国家を建設するために何ら努力をせず、日本国全体で日本国憲法を形骸化させてきたことがどれだけ重い事実であるのか。「軍拡」に未来がないことは誰の目にも明らかなのだから、本気で世界平和を実現するために動かなければならない。あの瞬間、アメリカにより日本国憲法を押し付けられ、数年で朝鮮戦争により豹変したアメリカに軍隊(警察予備隊自衛隊)を押し付けられた。日本国民が誇りを抱き生きるためにはどちらが必要なのか、皆さんも胸に手を当てて考えてほしい。日本の国是として何が相応しいのか、どんな日本なら愛せるのか。何のために経済成長し、科学技術を発展させ、日本そして世界から貧困を解消してきたのか。字面だけではない平和国家の建設こそ我々が成すべきことなのだと私は強く思う。

平和憲法の深層 (ちくま新書)

平和憲法の深層 (ちくま新書)