前原さんはなぜ「希望の党」との実質的合流を選ばざるを得なかったのか

なぜ前原さんは希望の党への合流を決めたのか。この点について多くの人が意見を述べていますが、どうやらほとんど間違っているのではないかと感じています。

 

前原さん本人の見解はこうです。

 

 

 

集団的自衛権を含む安保法制について、民進党が党方針として反対になったことが不満だったようです。これは安保法制に賛成する前原さんの感情としては正しいですが、国民の多くは安保法制を違憲だと捉えており(自民党の推薦した憲法学者までもが違憲だと言っていましたからね)安保法制の賛否についてだけで言うなら拮抗、あるいは反対の方が多いため、希望の党への合流理由としては微妙に思えます。この理由を挙げるなら「国民が安保法制を圧倒的に支持しており、それなのに民進党が反対したため」でないとおかしいのです。民進党の支持率が低い理由として正しくありません。

 

民進党の支持率が低いから政権交代のために希望の党への合流を選んだ、というのは確かでしょう。ではなぜ民進党政権交代できるほどの支持率を得られなかったのでしょうか。ネットの民進党支持層からは前原代表への批判が噴出しており、私も今回のこのやり方は問題が多いと思っていますが、それでも今回は、前原さんがこの決断をせざるを得なかった理由について説明したいと思います。

 

民進党代表交代劇について

 

 

民進党代表戦では前原さんと枝野さんが争うことになり、前原さんが圧勝しました。そういえば、この民進党代表選はなぜ起きたのでしょうか。民進党の前代表は蓮舫さんでしたね。

 

蓮舫さんはWikipediaによると2017年7月27日に党代表辞任の意向を示しています。この直接の理由としては東京都議選での議席減となっていますが、その前から「二重国籍問題」なるものがあったことを皆さんは覚えているでしょうか。前年に一時期バカなネトウヨが中国人だスパイだなどと騒ぎ始めて、その後騒動は収まったかに見えたものの、2017年になって突然また騒がれ、民進党議員からも問題視され、2017年7月18日には戸籍を公開することになったものです。戸籍を公開したものの、批判は収まらず辞任することになったという時系列になっています。そもそも蓮舫さんの国会議員への立候補、当選ともに選挙管理委員会に認められており何の問題もないのにもかかわらず戸籍を公開させられたこの事件について、私は「一部のバカなネトウヨ民進党蓮舫さんが圧力をかけられ、それを世論全体だと勘違いし、圧力に負け公開させられた」という話だと思っていました。

しかし、冷静に考えてみて、一部のバカなネトウヨを世論全体だと勘違いしてしまうような状況が日本の最大野党の党首に起きてしまうことは考えにくいのです。蓮舫さんの周りにも沢山の優秀なスタッフがいて、民進党の党員、支援者は日本国中にたくさんいて、自民党に次ぐ人やお金や動いている政党なのですから。きちんと世論を収集できているはずです。

 

小池百合子都知事選圧勝

小池百合子は「都議会解散」という公約を一番に掲げて都知事選を圧勝し、都議会を解散する素振りが全くないという滅茶苦茶な大嘘つきとして有名ですが、彼女が出た都知事選が行われたのは、舛添さんが都知事を辞めたからです。舛添さんについては、都知事就任後二年ほどはほとんど報道がなく、都知事としての手腕について評価することもできないな、マスコミが取り上げないから良いんだろうか、悪いんだろうか、と思っていたのをはっきり覚えています。そして舛添都知事が突如やり玉に挙げられたのは「韓国学校への用地貸し出し問題」でした。保育園を言い訳にしてレイシズムを爆発させるバカなネトウヨに対しては呆れる他なく、外信という形で産経に「ソウル日本人学校もお世話になっているのだから」と書かれるほどのアホな話だったのですが、これをきっかけに様々な舛添批判が高まり、舛添は辞めることになったのです。

舛添が辞めた結果行われた都知事選では、韓国学校建設に小池百合子増田寛也が反対し、鳥越俊太郎が舛添路線を継続し賛成する立場で争われ、小池の得票率が44.49%、増田の得票率が27.40%となり、鳥越の20.56%を圧倒しました。

 

結論

小池百合子東京都知事は更に、関東大震災での朝鮮人犠牲者に対する追悼文を取りやめました。一方の前原民進党代表は、代表就任早々に北朝鮮との不可解な蜜月関係などという(拉致確定前、まだ自民党の議員も含め向こうに行っていた頃である)1999年の既に終わった話を蒸し返されています。

 

これらが意味するものは一つです。日本国民はとにかく中国、韓国、北朝鮮が嫌いであり、中国韓国北朝鮮に敵対する政治家は支持され、中国韓国北朝鮮に対しての対決姿勢が弱い政治家、中国韓国北朝鮮とつながりがあると思われる政治家は叩かれるのです。国民が政治家を評価する際に重視しているのは経済でも安保でも消費税でも原発でもなく、中国韓国北朝鮮に対してどのような態度を示しているかなのです。

 

前原さんが希望の党への合流を決めた理由は、政権交代を実現させるためです。

安倍晋三は(実質的な貢献はともかく、イメージとしては)北朝鮮拉致問題に取り組んでいる政治家として有名であり、今回の北朝鮮によるミサイル問題ではトランプに先んじて強硬姿勢を鮮明にしており(参考)、韓国による慰安婦追悼碑にも(合法的な建設に対してまで)批判するなど、ポイントを稼いでいます。

小池百合子も、上に挙げたように韓国朝鮮に対する攻撃姿勢の強い政治家であり、反中の陰謀論も主張していて、安倍政権からの政権交代が可能なポイントを稼いでいると言えるでしょう。

前原さんは、国民のレイシズムに負けたのです。日本国民は、中国韓国北朝鮮に強硬に敵対する政治家でないと支持しない。前原さんのような在日の方々に地方参政権を認めるべきという穏健保守の考え方を持っている人が代表では支持してもらえない。だから政権交代するために、レイシスト小池百合子に希望を託したのです。

民進党蓮舫さんが降ろされた時に気づくべきでした。あの時、蓮舫さんに戸籍公開を迫ったのは一部のネトウヨではなく、普通の民進党員だったのです。私は外側にいる人間なのでわかりませんが、民進党の党内ですら、所属議員に対し中国韓国北朝鮮に強硬に敵対することを要求する人が多いのではないでしょうか。当然、前原さんもそんな民進党党員の声を受け取っていて、希望の党への参加に至ったのでしょう。両院議員総会で大きな混乱に至ることもなく民進党議員がすんなり受け入れたのも、それぞれに支持者からの声を受け取っていたからかもしれません。

 

いや、ちょっと待ってくれ、国民が総ネトウヨ化しているわけがないだろう、いくらなんでも暴論だ、そう言いたい方がいると思われます。それはその通りで、国民の7割がネトウヨ化し、「良い韓国人も悪い韓国人もどちらも殺せ」と主張しているのかというと、そうではないのです。

 

政治と国民

私達国民は政治をどのように評価しているのでしょうか。実は、ニュース番組をよく見ている人ならわかると思うのですが、ある政策が提案された時、その政策が良いか悪いかについてはほぼ議員からの評価という形でしか聞くことができません。新聞を読んでいる人なら「野党からは反発が予想される」といったフレーズをよく目にしていると思います。政策の内容については深く取り上げられません。実は、新聞テレビともに政策についてプラスマイナス両面を取り上げ、どんな人にとってはプラスでどんな人にとってはマイナスか、なぜ必要とされているのか代わりに何があるのかが整理された報道を見ることはほとんどありません。なぜかはわかりませんが、そんな面倒なことをしなくても視聴率、部数が稼げていて経営に問題がないからだと私は思っています。そして、そういった説明なしに我々が政策を判断することはほぼ不可能です。私達は日々を生きるのに精一杯で、そもそも円高とか金融緩和とか憲法とか周辺事態法とか原子炉格納容器とかよくわかりません(俺はわかるぞという人は当然いると思いますが、それはあなたがわかっているだけであって、国民の多く、少なくとも7割以上の国民はわかっていません)。たまに新聞を見ても一から順を追って丁寧に解説されている記事なんてないですから、わからないままなのです。そんな我々が、この法律は不要だとか必要だとか違憲だとか権力の濫用だとか判断できるはずがありません。マスコミの言うことがとりあえずまあそうなんだろうなと思って日々を過ごすしかないのです。

 

しかし、そんな我々でも一つだけ判断できることがあります。中国韓国北朝鮮が日本ではないということです。国名が違うので、誰でもわかりますよね。そして中国人韓国人朝鮮人は日本語ではなく外国語を喋ります。ウザいです。上小阿仁村の件でわかる通り、同じ日本人ですらあいつはよそ者だとして差別、排斥してしまうのが人間なんです。日本人から見て中国人韓国人朝鮮人は、自分の周りにいて、自分の知らない言葉を喋っている奴らですからね。エイリアンです。怖いです。そんなことを思うのは一部のバカなネトウヨレイシストだけだろと思うでしょうが、自分の胸に手を当てて考えてみてください。外国語を喋る団体に遭遇した時、(んっ)と反応するはずです。「まあ違う言葉を話しているだけでしょ」と落ち着く人も、その前の段階では変だな、妙だな、という感情を経由してしまうんです。そこからエスカレートすると、どこの国の人なんだろう、日本人じゃないよね、あいつら何なんだろう、なんで日本にいるんだろう、別に日本にいなくてもいいよね、出ていってほしい、中国韓国北朝鮮に帰ってほしい、日本にいるつもりなら普通の日本人より苦しんでほしい、普通の日本人みたいに普通に生きてほしくない、そう思うんです。殺したい、とまでは思わないでしょうけど。

この負の感情だけは、政治について何もわからないほとんどの人が持っているものであり、誰でも投票の理由にできるのです。これが安倍晋三小池百合子が支持される理由であり、その他政党が国民の多くに支持されない理由なのです。

 

前原さんが「希望の党」への合流を選ばざるを得なかった理由については以上です。前原さんを批判するのは簡単ですし、実際あのやり方はどうなんだと思っています。しかし、国会議員を選んでいるのは国民です。国会議員について、お金をたくさん持っていたり、不祥事を色々起こしていたりして、国民の意見が反映されていないんじゃないか、あいつら特権階級だろ、という不満はよく聞きます。しかし、どこまで行っても国民の(良く言えば)代表、(悪く言えば)使い走りなのが国会議員なんです。愚かな国民からは、愚かな国会議員が生まれます。賢い国民からは、賢い国会議員が生まれるはずです。

 

前原さんのやり方で政権交代できるかどうかはわかりませんが、たとえ政権交代できたとしても、上に書いたような日本国民の間にひろく定着している中国韓国北朝鮮に対する差別感情を放置、推進していくわけにはいきません。そんなの嫌ですよ。これから長い時間をかけて、日本国民を正常化し、正常な国会議員を増やしていくべきです。極右の二大政党制は容認できません。皆さん、僕と共に、日本社会を少しずつでも良くしていきましょう。

TwitterのRTで流れてくるツイートが嘘かどうかを見破る方法

Twitterで流れてくるツイートが嘘かどうかを見破る方法について解説します。

 

注意点を二つ。

この方法は、あくまで一般のTwitterユーザーにしか使えません。他分野で有名な人(タレント、評論家、イラストレーター等々)がTwitterをやっている場合は、今回の判定基準は当てはまらないので、その人の他の発言、思想傾向等から推測してください。

それから、この方法は実は「Twitterで流れてくるツイートの発言者が嘘つきかどうかを見破る方法」です。なぜなら、140文字だけを見て嘘かどうかを判定するのは難しく、またTwitterでの嘘つき(パクツイ犯、嘘松等)は一回だけ嘘をつくのではなく頻繁に嘘をついているからです。また、普段本当のことを言っている人が個人情報を隠すために嘘をついている場合は「TwitterのRTで流れてくるツイート」と表される種類のものに当てはまらないため使えません。それでは本編に参ります。

 

 

・フォロワーが1万人以上いるのに普段からクソみたいなことしか書いてない

嘘つきです。こういう連中はフォロワー数を戦闘力だと勘違いしており、数を増やすためになんでもやるからです。具体的にはフォロワーを金で買って水増ししたり、「フォロ爆」なることをやっているアカウントに頼んだり、相互フォローの人を探して戦闘力を稼いだりしています。

 

 

・名前、プロフィール欄に「わさらー団」という文字がある。

詳細は述べませんが荒らしアカウントであり、荒らすために適当なことを書いているので真に受けてはいけません。

 

 

・RTされそうな140文字近くびっしり埋まったツイートしかしていない

嘘つきかナルシストかのどちらかです。発言の中にやたら友人が多く出てくる場合は嘘つきです(本当に友人が多いのならツイッター言論人やる理由がない)。そうでない場合は嘘つきではない無害なナルシストの可能性があります。

 

 

・RTされそうな画像付きのツイートばかりしている

文章をいちいち画像にするのは面倒だし、また写真の場合は偶然のシャッターチャンスが人生にそんな頻繁にあるわけがありません。嘘つき、あるいはパクり魔です。

 

 

・フォローが数十~数百、フォロワーが数千で、140文字近くびっしり埋まった、いわゆる「ネット民」受けしそうな発言を定期的に行っている

どのような発言かというと、だいたい「マスコミ批判」「日本人批判」「外国人批判」「教師批判」「上司批判」「老人批判」です。ほとんどネトウヨみたいなものなのですが、嘘を丁寧に創作しているアカウントはネトウヨ臭をさせていないためわかりにくいと思います。(ネトウヨは日本人批判しないんじゃないの?と思う方もいるかもしれませんが、ネトウヨは現状そのままでいいと思っているのではなく「日本にはまだ膿があり、膿を出して美しい国にしてくれるのが自民党」と考えているので、その文脈から日本人批判も出てきます。)Twitterに限らず、カタルシスを得られる小話には注意が必要です。

 

 

 

・プロフィールで「コンサル」を自称している/ツイートに定期的に宣伝が挟まっている

作り話or盗作ツイートを行っている可能性が高いです。

 

 

・アイコンがどこかから借りてきたような人の顔+プロフィールが1行/ツイートに定期的に宣伝が挟まっている

盗作ツイートを行っている可能性が高いです。

 

 

・LINEの面白会話を定期的に画像ツイートしている

その会話相手の友人や親兄弟が架空か、またはアカウントを借りて自演でやっている可能性が非常に高いです。なぜなら人は自分の人生を生きているのであり、的確に「ネット民」受けするやり取りを毎日してくれるほど他人は都合のよい存在ではないからです。

 

 

とりあえず思いつく限り上げてみました。どの場合でもそうですが、ツイートが嘘かどうか判断するために、相手のページに行くことは重要です。発言内容だけを見て判断を下すことはできません。

皆さんがこれらのポイントを手掛かりに一つでも嘘のリツイートを減らしてくれると、ネットに拡散される嘘の量が減ることになるので私は嬉しいです。一緒にデマまみれのネット言論から抜け出しましょう。最後までご覧いただきありがとうございました。

『メアリと魔女の花』は濃厚な◯◯◯映画だった。

f:id:oranqs:20170714013432j:plain

メアリと魔女の花』は濃厚なジブリ映画です。

 

人によって「ジブリっぽい」に感じるものは違うと思いますが、この映画の予告や宣伝を見て「ジブリっぽい」と思って見に行ったなら、間違いなくジブリを体感できると思います。これは別に制作陣がジブリのパクリをやっているわけではなく、監督・脚本を務める米林宏昌ジブリのアニメーターとして長年やっていた人間だから、自然とそうなるのでしょう。つまり、どちらかというと人々の考える「ジブリっぽさ」の何割かが「米林宏昌っぽさ」で、それを感じているというのが正しいということです。

 

個人的な好みとしては監督の前作『思い出のマーニー』のほうが好きなのですが、『マーニー』は僕の中で映画最高クラスに好きな作品なので、それとの比較よりは、今作がとてもいい作品だったということを言いたいです。偶然見つけた花からとんでもないことが起きてしまい、不思議な世界に引き込まれ、ハラハラドキドキさせられます。メアリが涙を見せるあのシーンがいいですね。ぐっときます。その後も最後まで興奮させられっぱなしの映画で、とても楽しかったです。皆さん、ぜひ見ましょう。見た目だけではなく中身もちゃんとジブリっぽい映画なので、ジブリが好きなら見ましょう。ありがとうございました。

 

 

 

以下は未見の方は絶対に見ないでください。重大なネタバレを含んでいます。

 

続きを読む

5月3日、憲法記念日の朝日新聞社説がすごく良かった

(社説)憲法70年 この歴史への自負を失うまい:朝日新聞デジタル

1面の社説が良かったので社説面の方も読んだら更に良かった。

(社説)憲法70年 先人刻んだ立憲を次代へ:朝日新聞デジタル

是非とも全文読んでください。(社説読んでもらえたら以下は読まなくていいです。)

続きを読む

『サカサマのパテマ』感想 ‐『サカサマのパテマ』は何を伝えたかったのか?‐

『サカサマのパテマ』見ました。以下ネタバレありで感想を書きますが、僕はこの映画を他人に薦める気はないため未見の方でも読んでもらって構いません。

 

実は、見終わったときに僕はこの映画の内容を理解し切れませんでした。途中で思い違いをした結果、最後の主人公たちがどこにいるのかがよくわからなくなってしまったのです。この解答を読んで理解しました。恥ずかしながら、ネタバレを読んで理解したということを明言しておきます。僕は最初、パテマが上に飛ばされた後のシーンで、上の世界が地下だと思ってしまったんですよね。色合いが似ているから。セリフとしての説明もないし、つまりこの世界は上下ループしているんだ、「誰がこの世界を地球と同じような場所だと言った?」という話だと思ってしまったのです。普通に地球(と同じようなもの)が舞台なんですね。

 

とりあえず世界観については理解しましたが、その上でこの映画の問題点をまず挙げていきます。

・面白くない

とにかく全く面白くないです。ワクワクしない。一番重要なポイントなので書いておきます。

・アイガ世界の設定が適当

「空に落ちた連中は忌まわしい」「忌まわしいので空を見てはいけない」それはわかりました。じゃあなんで学校ではあんな青空全開の場所を移動して、教室もガラス窓になっているんですか?動く歩道があり、大きな建物を作れる技術力があり、電気もあるのに、なんで壁で覆わないんですか?頭おかしいんじゃないですか?

更に言うと、それまで感情なく俯いていた連中が、空に気球が見えたというだけの理由でみんな騒ぎ出すのもおかしいです。あのシーン、全員が空を見始めていて、逆に気味が悪いです。常識的に考えればわかりますが、学生の中には何があっても見ないようにしていたり、おいお前見ちゃダメだろと他人を押し付けて止めようとする人もいるはずです。タバコ禁止の学校で、映画スターがタバコを咥える広告が掲示されたら、いきなり全員がタバコを吸い始めるようになりますか?

地下世界とアイガ世界の位置関係が適当で、行き来が簡単なのか難しいのかがわかりません。描く場所を少なくして誤魔化しているようですが、直通してますよね?地下世界の連中を探しているというわりに、探さないとわからないほどの場所に隠れているようには見えない。物語で描いているのがほぼ住処発見寸前だったということなのでしょうか。

・恋愛脳が気持ち悪い

吊り橋効果一本で恋愛に持ち込んでいること、それによる意味不明なセリフ回し、その上に恋愛をギャグにしようとする恥ずかしさ、製作者お前そもそもこの設定を「男子は女子に抱きつかれたら興奮するじゃんw」という安易な感覚で使ってるだろ。そういった部分がひどかったです。

恋愛に限らず、すべてが嘘っぽい。人々の背景に生の感情が見られない。例えば地下世界の男と地上世界の男が共闘するというプロットは、普通に考えたら盛り上がるものですが、この映画を見ていても全く盛り上がりません。彼らに生の感情が見られないからです。

もう一つ言うと、男が地下世界で説教されるシーンは意味不明でした。セリフのつながりがめちゃくちゃです。あそこを理解できた人はいるんですかね?

 

では、ここからが本題です。この全く面白くもない映画は、一体何を伝えたかったのでしょうか?

 

・立場によるものの見え方の違い

セリフからして明らかに狙っていると思ったのはこれです。しかし、そもそもの重力の謎には一切向き合っていませんし、ラストで廃墟と化した地上世界を発見して「すごーい」「きれーい」では何の解決にもなっていません。お互いを認め合うことにつながる何かでないと成り立たないのです。

情報隠蔽の愚かさ

ネタバレを読んだ後に思いました。僕はこの映画の悪役があまりにもレベルが低くどうかと思っていたのですが、ネタを理解すると悪役のレベルが低いことに意味があるという話なのです。嘘の歴史を教え続けた結果、本当の歴史を忘れてしまい、その指導者が醜い性欲の怪物になるというのは良い皮肉です。公文書を破棄し、歴史を隠蔽し、そんな状態を国民が許し続けていると、いつかあんな国家になってしまうよ、ということです。しかし、それを伝えるにはアイガにしろ地下世界にしろ描写が足りない……これが個人の話ならいいのですが、社会や国家の話だと考えると描いている場所が狭すぎるのです。

・恋愛の美しさ

というわけでじゃあ男女恋愛かということになるのですが、この映画の恋愛描写は本当にひどい。先に述べた通り、生の感情が感じられないので、恋愛に感動することもないです。気持ち悪い。

 

ネタバレを読んで、なるほどなあとは思った映画でしたが、感想を一言で表すなら「だから何?」です。『イヴの時間』とどっちがマシか?と思いますが、どっちもダメだと思います。「だから何?」こんな映画を作って何を表現したかったのか。なるほどなあと思ったので駄作ワーストランキングには入れませんが、全然面白くなかったです。

『一般意志2.0』を利用し切った自民党、捻り潰された貴方と私/『私と彼女のお泊まり映画』を読んで、共感の時代について考える

 

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

一般意志2.0 ルソー、フロイト、グーグル

 

 

 

 

GoogleのサジェストやTwitterのトレンドをヒントに、そういった無意識の形を取って現れるものを集積してオープンにすることで、専門家による密室(熟議が成立する一方、極めて閉鎖的な空間)での決定から、より良い民主主義が行えるようになるのではないか、という話。かなりいいかげんな要約だが、筆者もこの本は論文ではなくエッセイだと言い切っているので問題ないだろう。

 

最近の自民党公明党政権による政治的な横暴を見ていると、一般意志2.0を利用したのが自民党だなということを痛感する。安倍政権は各個の政策では反対5割〜6割あるのにもかかわらず、逆に政権支持率は6割あり選挙でも大勝を続けている(都知事選は違うじゃないかと言う人もいるかもしれないが、小池百合子自民党の人間ということを考えれば明白で、あれも自公政権の勝利である)。ではそれはなぜか。

我々は個々の政策について、それなりに反対を示せる。しかし、その反対の本気度がどうなのかという点についてはまた別なのだ。我々が安倍政権の掲げる様々な個別政策に反対していたとしても、その反対が本気でないのなら、強行採決されても実は何の問題もない。あとは適当に「決める政治」とでもアピールしておけば、「決められない政治」よりは良いんじゃないか、と誤魔化せるということなのだ。これに気づいたのが自民党で、例えば沖縄での基地建設、ヘリパッド建設、これらについて、沖縄県では猛烈な反対運動が行われている。国民世論を調査しても、慎重論が過半数を占める。それでも自民党が強行できる理由は、一般意志2.0にあるのだ。

我々は「沖縄に基地を集めるのはおかしい」という極めて常識的な意見を口にする一方で、無意識レベルでは「沖縄は税金泥棒だろ」「県住民ではなくチョンやシナ人が集まって抗議してるだけ」「サヨクがうるさいなあ」「あんなサヨク島は中国にくれてやったらいい」「沖縄人は土人、あんなの日本人じゃないから」こう思っているのだ。

今までは電話調査や現地での抗議だけを真に受けていたので、安易に沖縄に基地を作っていたらまずい、減らさなければならないという意識を自民党の人達も持っていたんだと思う。しかし、インターネットを通して我々の一般意志2.0を探った結果、沖縄県を痛めつけても「本土」の人々は気にしない、むしろ沖縄ざまあと喝采を送っている、そういうことがバレてしまった。事実、選挙でも自民党沖縄県議席を失う一方、他県では大勝し、「沖縄はしばけるだけしばいたほうが良い」という「本土」の民意を示した。今まではマスコミ等のフィルターを通して隠していた、我々の本当の民意が一般意志2.0、つまり無意識の集積によって曝け出されてしまったのだ。

 

これが安倍政権高支持率の背景だ。我々がどれだけレイシストで、どれだけ他人の痛みに無関心で、どれだけ偏見の塊であるか、自民党は把握してしまった。今の状況を変えるためには、根本的に我々国民が良い市民に変わるしかない。そうならなかった場合、自民党が勝ち続け、日本国民は死にゆく運命にあるだろう。しかしそれは、死んで当然の愚かな国民だった、ということなのかもしれない。

 

もちろん、本書は別に自民党のやっていることを正当化しているのではなく、本書の掲げる一般意志2.0では、集積されたデータはオープンにされるべきだと書いている。今は自民党が一般意志2.0をこっそり収集し、政策や報道に利用しているわけだが、本書の言う一般意志2.0ではそうではなく誰もが見られるようにデータが提示される。つまり我々が沖縄への差別感情を直視し、内省する機会が与えられるのだ。そういった仕組みなら良かったのだが。

 

 

以下は全く別の話。

 

 

 

私と彼女のお泊まり映画 1巻 (バンチコミックス)

私と彼女のお泊まり映画 1巻 (バンチコミックス)

 

 

映画を見て感想を述べ合うという行為は最高に面白い。それを百合と組み合わせた、極めて安直な、良いと思わないわけがない漫画が『私と彼女のお泊まり映画』だ。ただし、この作品では映画のネタバレをしない。僕も第1巻で見たことのある映画は『インサイド・ヘッド』だけだったし(それはそれで映画を見なさ過ぎなのでは?)、そういった層向けにかなり薄く作っている。一応、映画のレビュー欄だけはそれなりに作ってあるので、取り上げられる映画が好きな人でも失望はしない程度になってはいる。

テレビのワイプ芸人を例に出せばわかる通り、我々は面白いこと以上に、面白がっている人を欲しがっている。それが、そもそも自分一人では何を面白いと思っているのか判断できないのでは?と揶揄されたりもするのだが……我々は弱い動物なのだ。

ネタバレがないだけではなく、取り上げる映画も普通だし、あまり深いところに突っ込まないので(恐らくではあるが、作者が特別に好きな映画というものがあっても、あえてこの作品では使わないようにしているんじゃないかと思う。そういう漫画)、新しい映画を発見するという意味ではあまり役に立たない。ただまあ、こういう適当な百合漫画を読んでニヤニヤしてしまうような弱い人間なんですよ、我々は。私も女の子になって女の子と一緒に映画見たいです。そんな感じ。

政党はなぜ必要か -ハンス・ケルゼン『民主主義の本質と価値』より-

政党なんて要らない、あんな奴らクソ喰らえというのが我々にとっての常識的な感覚だろう。自由民主党公明党民進党、維新の会、日本共産党、どれもこれもクソばかりだ。もしあなたが、国会に議席を持つ政党の中で1つでも支持できるものがあるとするなら、それはあなたが政治に興味がないか、政治を知らないに過ぎない。政治に興味を持ち、何年か眺めていれば、既存の政党のどれもクソばかりで支持に値しないということが自然とわかるはすだ。

 

では、政党なんか要らない、無い方がいいのだろうか。いや、そうではない。

 

民主主義の本質と価値 他一篇 (岩波文庫)

民主主義の本質と価値 他一篇 (岩波文庫)

 

 

『民主主義の本質と価値』は1929年に書かれたものであるのにもかかわらず、全く古さのない内容になっている。なぜなら、普遍的な近代国家における民主主義について論じたものだからだ。文章は中身が詰まっており、かなり骨が折れるものの、読む価値のあることは間違いない。

 

その中から、僕の中での感覚であった「政党なんか要らない」を覆した説明を見ていこうと思う。

 

 

 

「政党は一部の集団の利益団体に過ぎず、その基礎は利己心にある。」まさに僕が言いそうなことだ。ケルゼンはこれを一蹴する。

 

政党の求める党益に対するとされるものは、国民全員の求めるような全体利益であろう。しかし、超政党的な、「信仰、民族、階級状況などの相違とは無関係な全成員の利害共同体による」全体利益というものは、そもそも幻想である。それを決定するためには、「政党に代わってどのような社会集団が国家意志形成の担い手となり得るのか」という問いに答えなければならないが、そんなものはない。

政党に代わる社会集団として考えられるものは「職能集団」くらいだが、職能集団は専ら現実的利害によって結合しており、むしろ政党以上の利益団体になってしまうだろう。

つまり、我々国民が複数政党を持つ理由は、唯一の全体利益と言える「権力の独占」を一部の社会集団が持つということに抵抗するためであり、政党があることは結果として「妥協の可能性を作り出す」ことができる。「政党に憲法上の位置づけを与えることによって、政党内の団体意志形成を民主化する可能性が作り出される。」むしろ政党という形式をとることで、初めて我々は「国民」と呼ばれるような社会的力を発揮するのだ。

 

 

 我々が既存の政党に1票を投じたり、既存の政党の党員になったり、あるいは自分で政党を作ろうというときには、政策だけではなく上のような、そもそも政党とは何であるか、ということを考えてみるのもいいかもしれない。