『GAMBA ガンバと仲間たち』感想3 原作小説から削られた部分について

原作『冒険者たち』にあるシーンの中で、映画では完全に削られているものがいくつかある。最初の記事で述べた、映画にはいないネズミが頑張るシーン、特にノロイ戦でのバレットの踊り、バスとテノールの歌が無くなっているのは残念だ。それだけではない。オイボレはもともと島のネズミで、ひとり逃げ出したものの戻ってきたという設定なのだが、彼が死ぬシーンが変更され、島のネズミ(忠太、潮路の父親)が死ぬシーンになっている。これはオイボレを出さないという前提のもとでは良改変であるが、オイボレは一度島から逃げ出しながら若者たちのために(ノロイに釣られた若者たちの目を覚まさせるために)死ぬという極めて重い経歴を背負っていて、忠太と潮路の父親が身を呈するのとは意味が変わってくる(意味が削られてしまう)のではないだろうか。また、この死ぬシーンについても、原作小説と映画表現ではだいぶ違うものになっている。原作ではオイボレがイタチたちのもとに着くと、イタチの頬を一発叩き、それに対して周りのイタチが飛びかかり、周りのイタチによる輪が解かれるとオイボレは跡形もなく消されてしまう、というものなのだ。僕はこれを映像化するなら、骨だけになったオイボレの姿を見たいと思っていたのだが、全年齢向けの『GAMBA ガンバと仲間たち』ではそうはならない。忠太と潮路の父親(一郎?)はイタチに飛びかかるが、イタチに叩き飛ばされ、海に落ちる。死の表現としては温いと言わざるを得ない。児童文学で表せる死というものが、どれだけ自由なものであるのか、とてもよくわかった。

他にも、七郎と高倉ネズミのシーンが無くなっている。このシーンはガンバたちが絶対正義ではないという相対化をもたらすもので、イカサマの格好良さも相まってとても重要なのだが、映画では高倉ネズミたちはあくまで「島ネズミの一部反抗勢力」にさせられてしまっている。高倉のシーンや「お前らが来なければイタチにバレず平和に暮らせたのに」という話が無くなっているのだ。オイボレの代わりに一郎が死んだことで改心し協力的になるのだが、これも子供向け映画として尺を短くした結果だろう。改変自体はそれほど悪いものではないのだが、意味を失っている。山、高倉ネズミあたりのシーンはイタチがいつ来るかという緊迫感に包まれているもので、その緊迫感が無かったのも残念だ。
僕の一番好きなシーンである、イカサマが丁が出たと嘘をつき島ネズミたちの背中を押す場面も無くなっている。イカサマはボーボとの関係性については残されていて、ガクシャはヨイショとの友情がしっかり描かれており、それはそれで良いのだが、ガクシャとイカサマの対立、そこから憎めない間柄になるというのも『冒険者たち』の魅力であった。これが3時間アニメで、PG-12であったなら良かったのにと思うが……やはり尺の問題というのは大きい。
とにかく、イカサマがサイを振るシーンが少なすぎる。ことあるごとにサイを振るイカサマが魅力的なのに、ばっさりと削られているのだ。それだけではない。イタチがいつ来るのかという恐怖感、水や食糧の確保がままならない恐怖感、それが無くなっている。これらは当然描くのに時間がかかるのだが、『冒険者たち』において外せない要素であったし、見られないのは悲しい。

映画というメディアが大変魅力的なものであるのは確かだけれど、『ガンバと仲間たち』ではあるべき描写が削られていたように思う。それは間だ。映画版ではツブリたちのもとを去った後、山に行き、残されたソテツの花を見つけ、潮路を見つけるという流れなのだが、高倉の話がないばかりではなく、イタチが来るかもしれないという恐怖感や、食糧が確保できないことへの危機感といったものが全くなかったし、夢見が島の美しさや、ガンバが思いを吐き出したりする場面もなかった。必要な場面必要な場面をつなげる映画作りでは、間が無くなってしまう。『指輪物語』では序盤、裂け谷につくまでの間はフロドたちがナズグルに追いかけられるのだが、ここの頼れるものがいないという感覚は『ロード・オブ・ザ・リング』でもよく出ていた。例えば、表現しづらいが、ガンバのキャラクターは『冒険者たち』と『ガンバと仲間たち』では微妙に異なっていて、小説でははじめもっとだるそうなキャラクターで、それがマンプクに誘われて港に行って、忠太と出会って、助けないわけにいかない!と義憤にかられて……という流れになるのに、映画では初めから元気一杯で、なんかこれは違うと思うものになっている。このあたりも悲しい。時間の問題が大きいとは思うが、『ガンバと仲間たち』は『冒険者たち』の映画化としては、作品の方向性が変わってしまい残念なものになった。

それから、忠太の声が自分の感覚からはかなり離れていて驚いた。俺の中での忠太はもっとしっかりとした人物で、あんな萌えショタのような声は出さない。これはキャラ変更か私的な感覚の問題なのかはわからないが、どちらにしろ個人的には不満だった。マンプクについては、ウケ狙いに使われた部分があり(ガクシャが踏み台にするところとか)あれも少し不満ではある。どちらにしろ、おそらく原作は少年のための冒険小説なのだから、映画を見た人には原作を読んでもらいたい。小説のほうがいいぞ。