『平和憲法の深層』(古関彰一)

報道2001』で片山善博が、投票する前に憲法の本を新書でもいいから1冊読んでほしい、ということを言っていた。私もそう思う。

タイトルからは想像つかなかったのだが、この本は歴史を記したものである。日本国憲法が作られたあの時にどのようなことがあったのか、それを解き明かしている。歴史的な記述が大半を占めるが、新書らしく、近年の改憲騒動についての政治的な記述もある。しかし、政治的な部分については明確に政治的だとわかるものになっているので、読む際に警戒する必要はない。
この本によると、日本国憲法における『平和主義』とは昭和天皇のことばから取られたものであり、また生存権等の社会権については鈴木安蔵による憲法草案から取られ、GHQによる日本国憲法に反映されたという。
ただ個人的には、これを根拠に「押し付け憲法論」を否定するというのは阿呆らしいと思っていて、どちらにしろアメリカによる占領下でアメリカの作った憲法をもとに受け入れたのだから日本国憲法は押し付けられたものであり、しかし本文にあるように当時の日本国民はそれを押し付けられたから問題だなどと言った阿呆なことは考えなかったし、本文中に引用された加藤周一の言うように「よく消化されて、もはや自分のものとなっている」わけで、押し付けられたからなんだという話と考えている。
政治的な話としては「平和」という言葉の使い方である。戦時中から昭和天皇は「平和」のために戦争を行ってきており、しかし敗戦後すぐに「平和国家の確立」をするということを勅語として出している。これからは字面だけの「平和」ではなく、平和国家の確立、平和国家の建設を達成するんだという意志がそこにはあったのだ。しかしこの理想は数年で崩れ、自衛隊が組織され、冷戦に巻き込まれ、日本は戦争国家としてこの60年以上を過ごしてきた。本文中ではそう書かれていないが、『平和安全法制』なるものはまさに偽りの「平和」使用の最たるものであり、吹き出しながら、日本は戦中なのだなということを強く意識した。

平和国家の建設のために、著者は国家連合による警察権をもった組織を勧めているが、その評価は脇に置いておこう。今現在まだ国家の軍隊による爆撃、虐殺という構図が続いている理由は、単に手段を誤っているのではなく、軍隊側に対して虐殺行為を推奨する何らかの力が働いているのではないか、と感じるからだ。
軍縮」が全く言われなくなっているというのはその通りで、60年以上放置されてきたことにより、日本国憲法が無力とされていることが悔しい。平和国家を建設するために何ら努力をせず、日本国全体で日本国憲法を形骸化させてきたことがどれだけ重い事実であるのか。「軍拡」に未来がないことは誰の目にも明らかなのだから、本気で世界平和を実現するために動かなければならない。あの瞬間、アメリカにより日本国憲法を押し付けられ、数年で朝鮮戦争により豹変したアメリカに軍隊(警察予備隊自衛隊)を押し付けられた。日本国民が誇りを抱き生きるためにはどちらが必要なのか、皆さんも胸に手を当てて考えてほしい。日本の国是として何が相応しいのか、どんな日本なら愛せるのか。何のために経済成長し、科学技術を発展させ、日本そして世界から貧困を解消してきたのか。字面だけではない平和国家の建設こそ我々が成すべきことなのだと私は強く思う。

平和憲法の深層 (ちくま新書)

平和憲法の深層 (ちくま新書)