Pokémon GOは「ポケットモンスター」なのか

ポケモンGOの日本国内配信から4か月が経った。戦闘についてのバランス調整があったり、捕獲の確率が上がったり下がったり、ポケモン個体値についてコメントを貰える機能がついたりと、日々変化し続けている。また、ポケモンGOが原因で3人が死んだ。

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現在のポケモンGOには、走行中のプレイは禁止であることが明示され、「私は運転者ではありません」という表示をタップさせる仕組みができている。前の2例はわからないが、3例目の死亡事故は明らかにそのアップデートが済んだ後に起きている。つまり、3例目の運転者は「私は運転者ではありません」をタップした上で、ポケモンGOをプレイしながらよそ見運転をし、小学生を轢き殺したことになる。

 

ポケモンとは何なのだろう。ゲーム『ポケットモンスター赤・緑』とアニメ『ポケットモンスター』では主人公が喋ることによる違いも多いが、共通している価値観として人間社会にポケモンが馴染んでいること、科学と自然が調和した世界であることが上げられる。ポケモンは岩山や川沿いといった自然に生息していて、かつ人間と一緒に生きているものであり、例えば悪役であるロケット団に「ポケモンを道具にしている」という設定があることから対照的にわかるように、ポケモンは人間のパートナーとして尊重されている。

 

では、ポケモンGOというアプリケーションにおいて、『ポケモン』はポケットモンスターであるのだろうか?

 

ポケモンGOには、良い点もあるのだ。先に1つだけ述べておこう。

ポケモンの捕獲ができる

今までのポケモンシリーズでは、ボールを選択してからトレーナーは何もできなかった。本編ポケモンシリーズだけでなく、ポケモンコロシアム等でも同様で、祈りを込めつつAボタンを連打する(ただし意味がない)くらいしかできなかった。ポケモンGOでは、画面をスワイプすることでボールを投げられる。角度をつけて投げられる。これは良い。ポケモンをゲットするという部分では、優れていると言ってもいいと思う。

 

以下はポケモンGOの致命的な問題点だ。

 

ポケモンが人間と共に暮らす存在ではなく、道具になっている。本編のポケモンシリーズでは初代でも町中にヤドランがいたり、いあいぎりで道を切り開いたり、新しくなるごとに後ろをポケモンがついてきたり、サイホーンに乗ったり、「ポケパルレ」等の更なる触れ合い要素が生まれたり、ポケモンが人間と共に暮らしているということを大切にしている。ポケモンGOポケモンは大量に捕獲され、大量にアメに変えられ、無機質に並べられたジムを攻略し占領するための道具に過ぎない。

 

・我々は子どもとして、博士からポケモンを受け取り旅立ち、旅を通して成長するものなのだが、これには旅要素が全くない。実は本編ポケモンシリーズでもDSシリーズ以降少しおろそかにされていることではあるのだが……。

 

・自然と調和していない。ポケモンGOにはARモードがあるのだが、捕獲モード時のみ画面を通してポケモンが画面に映るだけであり、ポケモンが世界にいるという拡張現実さを全く出せていない。フィールドマップは無機質で、ポケストップとジムが並ぶ嘘くさいもので、全く見る気がしない。類似ゲームのIngressは設定上電脳世界らしさを出した上で画面でもそうなっているが、ポケモンGOにはトレーナーも、フレンドリィショップも、ポケモンセンターも、洞窟も草むらも街もない。

 

ポケモンがたまたま良い技を覚えているか、素質があるかどうかで判定され、捨てられていく。ポケモンと一緒に生きるゲームになっていない。「ひでんマシン」のような要素ももちろんないから、ポケモンが戦闘の道具から抜け出せず、ポケモンとしての個性を持てないものになっている。

 

・トレーナーと対戦できない。ジムに設置されたポケモンを倒す時、私とそのジムリーダーとの間にはなんの関係性もない。物語がない。お前のポケモンには負けないぞ!といったライバル関係が生まれ得ない。

 

・交換ができない。もっとも、ポケモンに対する思い入れが生まれないこのゲームに交換があっても、それは本来のポケモン交換(大事な息子を奉公に送り出す気持ち)とは全く違うものになるのだろうが。

 

・人と共存するのがポケモンなのに、ポケモンGOは人を殺す道具になっている。

 

以上の理由により、ポケモンGOは全くポケモンではない。

 

そもそも商業的なものだろとか、拡張現実さをもってポケモンが現れるゲームになったら更に事故が起きやすくなるだろという意見は正しい。正しいが、ポケモンGOは残念ながらポケットモンスターではない。そう言いたかった。