【ネタバレあり】今年最低の映画『二ノ国』について語る

この記事は映画『バースデー・ワンダーランド』『あした世界が終わるとしても』『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』『二ノ国』のネタバレを含みます




この映画を見た人の中で、『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』を見てからこの映画を見た人の1割くらいは、謎のピンク玉のキャラが「アンチウィルスプログラムだああああああああああ」と叫ばないかと期待?したのではないかなと思う(笑)実際はただ爺さんと一緒に消えるだけ。何なの?個人的にはアンチウィルスプログラムよりもひどいと思う。

さて、この映画は異世界ものです。主人公の男二人は刺されたヒロインを担いで病院へ向かおうというところで道路に飛び出し、トラックに轢かれそうになります。次の瞬間、二人は異世界にいました。こういう流れなので異世界ものであることは間違いないです。そして、異世界ものであることとその評価の低さから『バースデー・ワンダーランド』と関連付けられることもあると思います。『バースデー・ワンダーランド』は確かに個人的には好きではない作品でしたが、これはキャラのやり取りや展開に違和感があることの他に、親子の絆を無批判に美化する作品だからであって、むしろそういうものを肯定的に受け取る人には『バースデー・ワンダーランド』は悪く思えないでしょうし、ファンタジーの世界から帰ってきた二人のあの気だるげな表情という、現実の世界に軸足を置いた思想もはっきりしているので、『二ノ国』の低評価と別次元であることははっきりさせておきたいと思います。

二ノ国』に似ている映画は実は『ドラゴンクエスト ユア・ストーリー』でも『バースデー・ワンダーランド』でもなく、『あした世界が終わるとしても』です。たぶん、この映画を見た人は相当少ないんじゃないかと思うのですが、今年公開されたCGアニメ映画で、『二ノ国』公開までは個人的に今年ワーストの映画でした。『あした世界が終わるとしても』は異世界ものではなく平行世界もので、現実世界と同じような人が生きています。平行世界で人が死ぬと現実世界の対称の人も死ぬという設定で、現実世界で人が突然死していくことと平行世界の人を殺すために刺客が現実世界に放たれる(その平行世界の人は警備が厳重で近寄れない)ことが物語の発端になっています。

『あした世界が終わるとしても』がダメなのは会話が低レベルなのとストーリーがめちゃくちゃなのとディテールがいいかげんどころか存在しないのと根本的な部分でのミスが存在すること等で、まあとにかくひどい映画なのですがここでは省きます。『二ノ国』の会話は許容範囲ですが、他は似たような問題を抱えていると同時にラストで誤ったメッセージを立て続けに発していることが問題として大きく、その点ではただ戦闘シーンが描きたかっただけと思われる『あした世界が終わるとしても』より厳しい評価をせざるを得なくなりました。

先にラストの前の部分について軽く触れておきます。この映画のキャッチコピーは「命を選べ。」なのですが(変なコピーだなと思っていました)実際は命を選んでいません。ユウ(車椅子の人)はアーシャを守りたくて、ハル(バスケの人)はコトナを守りたいのですが、アーシャを殺せばコトナが救われるというのは、戦闘になる直前に敵がハルに吹き込んだ嘘なので、そもそもこの対立構図は成り立っていません。すぐ後で黒幕がバラすのでそこでこの嘘も終わります。いやまあ、命を選ぶってことを何らかの方法で描いていたらそれはそれでこれはどうなんだという展開になりそうですが、キャッチコピーが全くテーマになっていないというのもまたどうかと思います。それから、自分達が死にそうになったら異世界に飛んだのだから、また死のうとすれば元の世界に戻れるって普通の発想じゃないですよね。テレビゲームのキャラクターに対してなら行えるけれど、あなたが異世界に飛ばされて、何の手掛かりもなくてそんな行動を取れますか。ここはかなり違和感があって、はっきりと脚本が破綻していると思います。それから、姫様が一ノ国の存在を知っているのも違和感があった。自分達が2で自分達にとっての異世界が1って……変じゃないですか?まあここは唐突なだけで破綻ではないけれど。

 

ラストの1つ目の問題。大臣が実は敵だというのは二人と会った時の反応から読み取れたので、伏線として気づく人は気づくと思う。しかし大臣が王様の兄で、兄が敵国に養子に出されていて、養子に出されたのは不満だったがその国で兄は家族を作りそこで幸せな日々を送っていて、敵国を滅ぼす中で兄のその幸せな家庭が破壊されたというのは全く伏線として存在せず、ラストバトルの最中にべらべらと悪役が語りだしたことで明らかになった設定だった。このラストバトルがとてつもなく長い。飽きる。完全に間延びしている。まあそれで、敵がそういう裏事情を語った後に、悪役は普通に剣でぶっ殺されて死ぬ。王様「もう戦争はしないようにしよう」はぁ?違うだろ!!!敵をぶっ殺して、その後にもう戦争はしないようにで終わったらそれ否定できていることにならないだろ!!!完全に殺す側の論理じゃん。こんな可哀想な設定を後付けでべらべらと語らせた意味は何なのか。これでは和解にならないんですよ。王様は悪の大将を殺すのではなく、自分の兄なのだからと説得して、詫びて戦争を止めないと。この戦闘でまた人を殺し、殺される者の家族を生んでいるのだから、これでは戦争は終わらない。普通に陳腐な悪役で良かったはずなのに変に設定を後付けしたせいで間違った反戦表現になっていると思います。

ラストの2つ目の問題。主人公の片方が異世界の住人であることは実は伏線が張られていて、コロセウムでの戦闘の時に二人がよく似ていると言われるシーンがあります。まあそれはいい。で、ユウ(車椅子の人)は二ノ国に戻って姫と幸せに暮らし、ハル(バスケの人)は一ノ国でコトナと幸せに暮らしめでたしめでたしというエンディングなのですがこれが意味するところは障害者は幸せになれないから二ノ国にでも行ってろってことですよね。だって二ノ国でのユウはなぜか障害がないんだから。足を自由に動かせるんだから。これは間違った障害者表現としか言いようがない。もし単に異世界ものの対称として描きたかったのなら、車椅子生活にしてその上で二ノ国では脚の障害がない状態にする必要がないんですよ。これを入れたことで生じる効果は、今現実に障害を抱えている人達に対して「二ノ国に行ったら幸せになれるのにな」というメッセージであって、これが語るのは「一ノ国(私達の現実世界)で障害を抱えたままお前らが幸せになることなんかない」という絶望なんです。一ノ国は明らかに私達の現実世界で二ノ国は自分達とは違う異世界として描いていてそれ以上の設定はないのですから、これは擁護不可能です。身体障害者をあえて登場させる意欲的な作品だとは思うのですが(車椅子の人が頭良くてバスケの人が頭悪いというステレオタイプな描き分けも気になるのですが、そんな指摘が些細なこととして吹き飛ぶほどに)むしろ完全に反障害者的な結論に至っています。

 

 

以上の理由により本作は今年最低の映画となったわけですが、仰天したのはエンドクレジットで監督 百瀬義行と表示されたこと。あの、あの『サムライエッグ』の百瀬義行がですよ、あの卵アレルギーと格闘する母子の現実の問題を丁寧に描いた『サムライエッグ』を監督した百瀬義行が、障害者の現実を否定して二ノ国に行けと結論づけるアニメを監督するなんて。まあ『二ノ国』の脚本はレベルファイブの日野なので、日野が悪いのであって百瀬は悪くないと言いたいですけれど、まあ監督クレジットがある以上責任者であることは確かですからね。百瀬さん、この映画はダメだなと思いました。

この映画で気分を害された方は『サムライエッグ』を見てください。劇場、人気イケメン俳優が声優を務めたことにより、女の観客が多かった。男女比5:5くらいだった。だからそうやってこの映画を見に来て「何なんこの百瀬義行とかいう監督、クソだわ」と思った淑女の皆さんには特に『サムライエッグ』を見ていただきたいです。食物アレルギーは不治の身体障害とは違うけれど、現実の問題に向き合う姿に元気を貰えるはずです。