「大人になれよ」

今週のお題「おとな」

 

多くの人にとっては「子ども<おとな」なんだろうけれど、私にとっては「子ども>>>おとな」であることがもう完全に確定していて、私の中での常識となってしまっている。

「大人になれよ」という言葉がある。これほど気味の悪い、嫌な言葉はないだろう。この言葉を使う人間は子どもを見下している。下等だと認識している。何を伝えたいにしろ、そんな思想をわざわざ表明されると私の気分が悪くなる。

「大人になれよ」と発する人間は何を伝えたいのだろうか。この言葉が発せられるタイミングは、話者が対象者に、対象の行動をやめさせようとする瞬間であると思われる。しかし、話者が(その者が認識しているように、優れているという意味で)「おとな」であるならば、このような誤魔化しを避け、論理的な説得を行う人間であるべきなのだ。

一方、私の定義する「子ども」なら、対象者の感情を尊重し、さらにその行動による結果を推測した上で、「◯◯であるから△△はやめたほうが良いと私は考える」と論理的に意見を述べるだろう。なぜなら自分と相手は違う人間だからだ。これを理解できていないような「おとな」になら、私はなりたくない。