今年最高の映画『響け!ユーフォニアム~誓いのフィナーレ~』は、なぜ劇場版でなければならなかったのか

短く解説します。ネタバレしかないので未見の人は読まないでください。

今作の感想を見ていると、描写不足だと言っている人が非常に多いんですね。私が見に行く前から多かった。それはつまり、テレビアニメと違って時間が短いから嫌だという、久美子1年時を2クール分でやったのに奏1年時は映画1本ですから、テレビアニメで言うと5話分くらい?その時間の少なさが嫌ということなのでしょう。しかし、今作を実際に見て思うのは、全然描写不足なんかじゃないってこと。誓いのフィナーレは最高の映画で、全く文句なしの傑作なんです。それでもテレビアニメで2クールでやるべきとか言っている奴が結構いるので、この記事では反論します。

響け!ユーフォニアム 誓いのフィナーレ』が劇場版であった理由は、彼らが関西大会で負けるからです。もし関西大会で負けるのにもかかわらず、彼らが一生懸命練習してきた様を丁寧に丁寧に丁寧に1クール以上かけて描写していたら、悲しくなりませんか?苛立ちませんか?必ずそうなります。何ヶ月も追いかけて見ていて、彼らの努力がしっかりと描かれていたら、なんで関西大会で負けるんだと不満を持ってしまうのです。視聴者は。そして、もし不満を持たせないようにするのなら、彼らの演奏力が前年より落ちている様を丁寧に丁寧に丁寧に、他高校に負けている下手な吹奏楽を聴かせる必要があるわけで、そんなことは響けユーフォニアムの使命ではないわけです。純吹奏楽じゃないんですから。響けユーフォニアムが作品として提示したいのはそんな部分ではないから、劇場版でやるしかなかったのです。

改めて思ったのは、『響け!ユーフォニアム 誓いのフィナーレ』が敗者を描いた作品ということ。かべちゃん先輩も奏もデカリボン先輩も示しているのは、負けた者がどう生きるか、どう生きていくかなんですよ。煌びやかな香織先輩やあすか先輩とは対照的な我々の進むべき生き方が、「頑張るって、何ですか」「悔しくて死にそうです!」に現れているんです。だから『響け!ユーフォニアム 誓いのフィナーレ』は今年最高の映画だし、ここ数年のアニメ映画の中でも最高傑作なんですよ。間違いない。