ファミリーマートへ サッカー日本代表のユニフォームを着ている店員について

もしサッカー好きの店員が勝手に着ているのを許しているだけなら、なぜサッカー日本代表のユニフォームだけが許されているのかが気になります。不思議です。
ファミリーマート以外ではあのようなユニフォームを着用している店員は見たことがありません。

もし会社として、サッカー日本代表のユニフォームを着ることを店員に強制、あるいは奨励という名のもとに強制しているのなら、それは気持ち悪いからやめてください。商品としてサッカー日本代表のグッズを置くのは勝手ですが、違う商品を購入する客に無理矢理サッカー日本代表ユニフォームを見せつけるような形態はやめてください。店員を利用して、気持ちの悪い主張をしないでください。

なぜ大きな問題にならないのか不思議でなりません。

「女はなぜ愚かなのか」―ルミネCMの事件をうけて考える―

ルミネCMの件とは、ルミネが非常に問題のあるCM動画をYouTubeにアップロードした問題である。しかし、このCMそのものについては多くのブログで取り上げられているため解説しない。女性差別という視点(「寝てそれ?」というセクシャルハラスメント、「巻いただけですって〜」という、女の口調への見下し、「大丈夫だよ」という他人の心理状況に対する根拠のない決めつけ、「需要が違う」という純然たるセクシャルハラスメント、ご丁寧に「「単なる仕事仲間」という意味であり「職場の華」ではない」とセクシャルハラスメントであることを辞書風に文字を入れて解説)もあるが、


この視点がとても良いと思うので引用する。前座がセクハラだろうがなんだろうが、最後の「変わらなきゃ」というメッセージがないのなら肯定されないわけで、これによって(性以前に)自分でない他人からの圧力で人格を捻じ曲げるという暴力が肯定されてしまっている。

このようなCMはなぜ作られたのだろうか。それは、女が愚かだからである。本題に入っていこう。

このCMはあくまでYouTube上での公開動画であり、まだテレビで流されたものではない(ようだ)。それでも、ルミネという会社は大きなショッピングセンターをいくつも持つ有名企業であり、適当に、雑に作られたものではないだろう。もちろん、単なるセクハラとして作られたものでもない。動画説明文には「ルミネが働く女性たちを応援するスペシャルムービー」とあった。このCMは、女にルミネを利用させるために考えられて作られたものなのだ。

このCMでは「職場の華」という不適切表現が出てくる。これは、その職場において女は職務能力を求められているのではなく、性欲処理能力を求められているのだと言っているに等しい。これがなぜ、女にルミネを利用させるために作られたCMで出てくるのだろうか???おかしいと思うだろう。しかし、おかしくないのだ。

ここで、私のような男がいたらわかってくれるとは思うが、少し話を聞いてほしい。小学生の頃、周りの男はただ暴力的で、ギャーギャー騒ぐガキばかりだった。しかし女には、冷静で頭の良い人もいくらかはいた。それが中学生以降になると、女は一人残らず醜くなっていく。汚い声を出すようになり、小学生のガキ以上にガキといった、無能で短絡的で浅はかな人が大勢を占めるようになる。それを見ながら、私は女が嫌いになった。女というのはなぜこんなに愚かなのだろう、と。

こうやって私の中での女性蔑視思想は育まれたのだが、5年ほど前あたりから、私はこの考えを捨てた。「女は愚かではない」と気づくことができた。その理由は3つある。
1つは、人は単に人であるということ。男が皆優秀かといったらもちろんそんなことはないし、女だって優秀な人はいくらでもいる。単に素晴らしい人と愚かな人がいるだけで、「女は愚か」だと決めつけると、それは素晴らしい女の人を見過ごしてしまうことになる。素晴らしい人というのがどれほど貴重な存在か、皆さんならわかってくれるだろう。くだらない思い込みは損だと思った。
1つは、そもそも愚かだというのは私個人の勝手な視点によるもので、傲慢であるということ。もちろん「私が愚かだと認識しているにすぎない」という部分もあるけれど、それ以上に自分の傲慢さが嫌になったのだ。

最後の理由は、「女を愚かにしているのは、他ならぬ男達である」ということ。これが大きかった。多くの女性が性的暴行の被害に遭っていることは皆さんもご存知だとは思うが、女はとにかく「男目線」に晒される日常を送ることを余儀なくされる。男が「女目線」に晒されることはあまりない。なぜなら、「女性活用」という言葉(この言葉も汚いが)がわざわざ叫ばれるほど、社会は男性で満ちているのである。男性がナチュラルスタンダードで、女性は「人ではない」とされる、それが「社会」なのだ。こういった環境で女が生き残るには、男に気に入られるしかない。曽野綾子は、極めて男性的な(暴力的な)主張を重ねることで、女性であるにもかかわらず保守の大御所という地位を手に入れることができた。同様に、あらゆる女は男目線に晒され、男に気に入られるよう日々「暴行」をうけ、人格を破壊されていくのだ。そうして出来上がったのが、常に男目線を気にし、媚びへつらい、髪を巻き職場の華である「女」である。もちろん、そうした「女の能力」(男でいう、仕事の業務遂行能力にあたるとされるもの)があまり足りていない人や、そもそもそういった性暴力に耐えられない女も存在するだろう。

ルミネのCMは、こうして人格を破壊されている女に対して「お前は女だろ?男に気に入られるよう、「女の能力」をつけろよ。そのためにルミネに行けよ」と言っているのだ。ルミネは単に、(ルミネでの買い物が不十分な)消費者層に向けて「ルミネで買い物してくれよ」というメッセージを出しているに過ぎない。「男の能力」で日々を生き抜いている女に対して、男の圧力で「女の能力」を強要され、受け入れさせられる。ルミネはこうした国家的性暴力の大きな流れに乗って「女の能力」を求めさせられる人々を手助けしゼニを稼ぐ、小悪党にすぎないのだ。

読むための日本国憲法 (東京新聞政治部編)

この本は一度読み始めたことがあったのだが、自民党憲法改正草案に対する批判ばかりだと感じて(別に私があの草案に賛成してるとか反対してるとかではなくて、それは自分の読みたい内容ではないと思い)、なんとなく読む気がしなかった。

実際は、この本の目的はそれではない。今そこにある日本国憲法が、戦後(特に最近、この十年程度で)どのような意味をもってきたのかということを、時事ニュースを通して実感してもらうことを狙いとしているように感じた。

 

構成としては

  • 条文
  • 条文の意味、他条文との関係についての解説
  • 実際の社会情勢や事件とのつながり
  • そのままであるべきか、どこを変えるべきかという各所からの見解

といった感じになっている。各所からの見解では、自民党改憲草案以外にも中曽根試案民主党の憲法提言によるものが時々示されている(基本的に自民党の草案が中心である)。もちろん、一般的な護憲派や、憲法学者の見方も示されている。決して自民党草案への批判が中心なのではなく、単に「自民党案では~となっています」と併記されているだけのものも多いので、むしろ自民党改憲草案への徹底的な批判が読みたいという人には、肩透かしになると思われる。

 

1条1条にきちんとページを割いていることが特徴で、9条では自民党改憲草案を全文引用して6ページ割いているが、短いものにも2ページ使っている。例えば55条は一切使われていないしこれからも使われないだろうというものであったり、74条は一見無意味そうだけれど実は重要だよと解説されていたりする。「改憲⇒9条改憲⇒戦争大好き」「9条護憲護憲日本国憲法万歳」のようなつまらない流れに乗らずに、じっくり1条1条を見つめてみたいという人には薦められる。

 

あとがきでもアピールされている通り、憲法の「今」を伝えているのが本書の良さであり、最近の事件や制度変更についての解説が多い。明らかに憲法を身近に感じてもらうための書き方なので、読むなら早く読んだ方がいいと思う。これはタイトルの「読むための」の部分につながっていて、実際私は読みやすかった。第一歩として良いのではないだろうか。

読むための日本国憲法 (文春文庫)

読むための日本国憲法 (文春文庫)

 

 

西川公也農水相、玉木雄一郎議員の件 メモ

(問5)この「脱法的行為」は、玉木先生が国会で追及した、西川公也農水相の「精糖業界からの脱法献金」と似た構図だと考えます。この点についてご見解をお聞かせください。
(答)
まず、国会でも指摘したとおり、「精糖工業会」「精糖工業会館」は、所在地も代表者・役員も全て同じ。しかも、精糖工業会館は精糖工業会に対し、砂糖の買入れ及び売渡しといった精糖工業会館の定款に記載する本来業務を委託しており、まさに精糖工業会と精糖会館は実質的に同一の法人と考える。
これに対して、パーティー券を購入いただいた8社は、いずれも異なる場所に所在しており、事業内容も異なっている。従業員もそれぞれにいて、いずれも実態のある会社であり、それぞれの会社からパーティー購入していただいたもの。また実際に、当日も多くの方に参加いただいている。
よって、精糖工業会と精糖工業会館との間の構図とは全く異なり、「脱法的行為」との指摘はあたらない。なお、精糖工業会は、農林大臣が所管する砂糖に係る業界団体であって13億円の国からの補助金を受け取っている。献金を通じた税金の還流という構図であり、私が指摘を受けている会社は、そもそも国からの補助金を受けていない。

 

権力とメディア|たまき雄一郎ブログ

民主・玉木氏団体に280万円 同一代表者、8社から 西川農水相への寄付「脱法」追及(1/2ページ) - 産経ニュース

後藤健二さん殺害との報をうけての安倍晋三とバラクオバマの声明、についての反応を自戒する

後藤さん殺害か:安倍首相の発言全文 - 毎日新聞

湯川遥菜さんに続いて、後藤健二さんを殺害したとみられる動画が公開されました。ご家族のご心痛を思うと言葉もありません。政府として全力で対応してまいりましたが、誠に痛恨の極みであります。非道、卑劣きわまりないテロ行為に強い怒りを覚えます。

 テロリストたちを決して許しません。その罪を償わさせるために国際社会と連携してまいります。

 日本がテロに屈することは決してありません。食料支援、医療支援といった人道支援をさらに拡充してまいります。

 そして、テロと戦う、国際社会において、日本としての責任を毅然(きぜん)として果たしていきます。今回のテロ行為に対して、日本に対して強い連帯を表明し、また、解放に向けて協力をしていただいた世界の指導者、日本の友人たちに心から感謝申し上げたいと思います。

 またヨルダンのアブドラ国王には惜しみない支援をいただきました。国民を代表して御礼を申し上げます。今後とも国内外の日本人の安全に万全を期してまいります。

 

「オバマ大統領が緊急声明 「凶悪な殺害を非難する」」 News i - TBSの動画ニュースサイト

アメリカのオバマ大統領は緊急声明を出しました。声明は後藤さんの殺害を前提とする形で書かれており、冒頭、「イスラム国による凶悪な殺害を非難する」とした上で、「後藤さんは勇気をもって、報道を通じてシリアの人々の苦境を世界に発信しようとした」として、「アメリカは後藤さんの家族と後藤さんの愛する方々と共にあり、こうした残虐行為を非難した安倍首相と連帯していく」と表明しました。

 また、「中東、並びに世界の平和と繁栄のために行われている日本の揺るがぬ貢献と、当該地域の紛争のために犠牲を強いられている無辜(むこ)の市民に対して実施されている日本の人道支援について高く評価する」とした上で、「アメリカは同盟国や有志各国との広範な協力によって、イスラム国を弱体化させ、最終的には崩壊させるために断固たる措置をとる」と強調しました。

 (※追記補足リンク:オバマ大統領が声明発表、後藤さん殺害動画公表で - WSJ

「米国はISIL(イラク・レバントのイスラム国)による日本国民でジャーナリストの後藤健二氏の許し難い殺害を非難する。後藤氏は報道を通じ、勇気を持ってシリアの人々の窮状を外部の世界に伝えようとした。われわれの心は後藤氏の家族や彼を愛する人々と共にあり、米国は今日、こうした野蛮な行為を糾弾することで、安倍首相や日本の人々と連帯する。中東地域の紛争で被害を受けた罪のない人々への寛大な支援など、中東と世界で平和と繁栄を前進させるための日本の揺るぎない貢献を称賛する。米国は同盟国やパートナー諸国との広範な連合と団結し、ISILを弱体化させ、最終的に壊滅させるために引き続き断固たる措置を取り続ける」

私はこの報道を見て最初に「オバマは後藤を称えているが、安倍はテロとの戦いとしか言ってない」と反応し安倍を批判したのだが、少し考えて、その角度は間違っていたと反省している。

オバマはなぜ後藤さんを称えたのだろうか。その理由は明白で、「アメリカは後藤さんの家族と後藤さんの愛する方々と共にあり、こうした残虐行為を非難した安倍首相と連帯していく」「アメリカは同盟国や有志各国との広範な協力によって、イスラム国を弱体化させ、最終的には崩壊させるために断固たる措置をとる」と言いたいからに過ぎないのだ。湯川さん殺害時にも「日本ともに協力し、犯人に裁きを受けさせる。断固とした行動を続け、最終的にイスラム国を打倒する」と言っている。これは、安倍の言っている”テロリストたちを決して許しません。その罪を償わさせるために国際社会と連携してまいります。””テロと戦う、国際社会において、日本としての責任を毅然(きぜん)として果たしていきます。”と全く変わらない。どちらも、人質殺害を口実に暴力を振るいたい、そのための国民感情を煽りたいというだけなのだ(イスラム国というテロ組織と戦うためであっても、暴力は暴力である)。

この差を、アメリカ大統領の狡猾さとみるか、日本国総理大臣の愚かさとみるか、我々日本国民の未熟さとみるか、それは自由だろう。しかし、オバマの声明も安倍の声明も、結局は弱者を利用した強者の発言に過ぎないということだけは忘れずにいるべきだ。

共同通信によるコメント捏造の件から、報道について考える

映像屋のざれごと: 共同通信社さん配信の報道に関して。

翌日、友達から連絡が、「新聞にこんなののってる!」と東京新聞さんの記事を写真で送ってくれました。

「太陽光は原則こうした影はできない」

と、僕がコメントを出したようにしか読めない文章でした。
正直、「??????」んなこと言ってないじゃん?できるって言ったじゃん?

イスラム国による例の映像の真偽についてコメントを求められた映像屋さんが、答えたコメントをねじ曲げられた事件である。もちろん、これは問題であり、たとえば朝日新聞産経新聞が都合良くニュースをねじ曲げるというのはよくあることだが、一般に時事通信共同通信といった通信社というのは単に事実を配信する機関だと私は無知ゆえに考えていたので、少し驚いてしまった。しかも、解釈の間違いではなく、政府発表に合わせる形で改竄するというのは最低最悪である。

しかし、この件についてニュース記事を検索して読んでみたところ、違う観点から考えさせられるところがあったのだ。あくまでネット上で、無料で見られる社の記事についてのみの調査なのでそこは各自割り引いて見てもらいたい。

 

 

映像屋さんの名前でこの件についてのニュース記事を検索してみたところ、共同通信自身の記事は見つからず、他社のもので3件引っかかる。

 

邦人殺害警告 タイムリミット23日昼頃か - 国際ニュース : nikkansports.com

日刊スポーツは

 映画編集者の田巻源太さんは「太陽光では原則こうした影はできない」と指摘したものの、室内で複数の照明を使い撮影し、背景を合成したとすればありうるという。

 と書き、全体としては合成であるということよりも2人が被害に遭っていることに重きを置いた内容である。

 

警告映像は加工、合成の疑い 男性2人の影「不自然」 ― スポニチ Sponichi Annex 社会

スポーツニッポン

映画編集者の田巻源太さん(33)は「太陽光では原則こうした影はできない」と指摘する。ただ、室内で複数の照明を使い撮影し、背景を合成したとすればありうる映像だといい、「2人を別々に撮影したとまでは断定できない」とみる。 

 と書き、合成の可能性が強いことを中心とした内容になっている。

 

日本人2人殺害を警告 「イスラム国」ビデオ声明、身代金2億ドル要求:一面:中日新聞(CHUNICHI Web)

中日新聞

映画編集者の田巻源太さん(33)は「太陽光では原則こうした影はできない」と指摘する。ただ、室内で複数の照明を使い撮影し、背景を合成したとすればありうる映像だといい、「二人を別々に撮影したとまでは断定できない」とみる。

 と書き、記事前半では今回の事件についての概要を、後半で映像の加工について強調した内容になっている。

 

 

読んでみるとわかるが、中日新聞の記事後半と、スポーツニッポンの記事は完全に同じものだ。言っていることが同じなのではなく、文章が全く同じなのだ。

中日新聞の副題は『映像は合成の疑い「影が不自然」』、スポーツニッポンの記事タイトルは『警告映像は加工、合成の疑い 男性2人の影「不自然」』であり、これについて検索すると共同通信の以下の記事が引っかかる。

公表した映像は加工、合成の疑い 男性2人の影「不自然」 - 47NEWS(よんななニュース)

記事タイトルが共同通信の配信タイトルからとられたことは想像に難くない。さらに、この共同通信の記事を〔共同〕と、共同通信による配信であることを明記して日本経済新聞が書いている。

邦人殺害警告映像は合成、加工の疑い 影が「不自然」 :日本経済新聞

記事タイトルは違うが、全く同じ内容だ。

しかし日経が同じように”共同通信による配信であることを明記して”書いたこの記事についてはどうだろう。

映像は合成・加工か、警察庁が分析 2邦人殺害警告 :日本経済新聞

 政府関係者や映像編集の専門家からは「太陽光では原則こうした影はできない」などと不自然さを指摘する声が出ていた。

 この「太陽光では原則こうした影はできない」というのは、コメント捏造により生み出されたものである。47newsで検索しても、この「太陽光では原則こうした影はできない」というコメントが載せられたニュースは見つからない。

 

先に述べた3社と日経以外の2社で、この問題コメントを使ったものが存在する。

 

【イスラム国殺害予告】ビデオ映像を科警研で分析 撮影はいつ、どのように? - 産経ニュース

産経のこのニュースは、前出の日経による共同からの配信2記事に、さらにこの記事

イスラム国映像を科警研で分析 撮影はいつ、どのように? - 47NEWS(よんななニュース)

を足して作られたものだと思われる。

 

合成の疑い イスラム国映像を科警研で分析 | 沖縄タイムス+プラス

沖縄タイムスのものも、似たような合わせ技で作られているが、共同通信からの配信であることが明示されている。

 

 

一方、日刊スポーツは「太陽光では原則こうした影はできない」という共同通信による捏造発言を使ってしまったものの、高岡豊氏のコメントを用いて”「合成であろうがなかろうが、日本人2人が捕まっており、殺害予告を受けていることは変わらない」”といった論調で締めた。高岡豊で検索すると、日経と東スポそれぞれの独自記事に、シノドスに書かれたシャルリーの件についての論説が引っかかるのみであった。おそらくこちらのコメントは共同通信から引っ張ってきたのではない、独自取材と推察される。

 

 

今回、こうして見てきてわかったことは、いかに新聞社が共同通信に頼っているかということだけではない。その頼り方にも差があり、単に配信記事をそのまま載せるわけではなく、いくつかの配信をまとめて加工して記事にしているところもあった。また、共同通信が他社に記事を配信しながら、その記事を自分のところでは出していないという事例もあったことになる。

これらを総合して言えるのは、記事についての責任が曖昧になってしまっているということである。自分がある新聞社の記事を読んで腹を立てていたら、それが通信社の配信記事だったというのは当然あることだろうし、さらには複数の配信が混ざって1つの記事が作られていたり、配信記事に独自の取材をプラスして記事にしたりといったことまで行われている。しかも〔共同〕クレジットはつけるもつけないも自由といった体であり、こうやって調べでもしない限り受け手には何もわからない。もちろん朝日読売毎日等の有料記事を今回のように横断して検索するとなると、それに金銭的な問題も加わることになり実質不可能である。

 

タイトルを「報道について考える」などとしてしまった以上、何かしら書かなければならないのだろうが、私個人は今回の件を通じて、少し脱力した。各社のニュースに対し、まともに向き合うのは実はバカらしいことなのではないかとすら思ってしまった。もちろん、あえて問題提起するならば「共同通信が政府(一部権力)の発表に合わせるような捏造配信を行うことで、各社が丸ごとコピーではないにしてもそれを受け記事を発信するため、結果として政府(一部権力)に都合の良い論調が形成されかねない」といったところだろうか。

おそらくマスコミ各社も、通信社から記事を買うことによるリスクをわかっているとは思うので、他社と差の出る部分できちんと「良い報道」(誰かにとって都合良い報道という意味ではない、純然たる質の高い報道)を行うよう努力しているだろう。これからはそういった部分に着目していきたい。