ふぁぼったーは偉大だった。

ふぁぼったー無き(亡き)後のTwitterは、ネタツイートのパクり、フォロワー稼ぎ、嘘、スパム的な行為に際限がなくなってしまったと思う。

 

 

ただ懐古しているわけではない。もちろん、Twitter利用者の増加が直接の理由だろうし、ふぁぼったー時代にも悪質なアカウントがいたことは間違いない。しかし、ふぁぼったーが持っていたある特徴が、そういった悪質なアカウントを増やさない緩衝材になっていたのではないかと思うのだ。

 

それは「赤ふぁぼ」。

 

ふぁぼったーを知らない人のために簡単に説明すると、Favstarの制限無し版と言って差し支えない。Favstar無料版は最近のツイートだけのふぁぼられを表示してくれるが、ふぁぼったーは無料で昔のツイートまでふぁぼられをたどることができた。一方、Favstarのほうが最新のふぁぼに対する反映は早かった。ふぁぼったーはTwitterのバージョンアップについていけず対応終了してしまったが、稼働当時はふぁぼったーFavstarのどちらも利用している人が多かったように思う。

 

そのふぁぼったーの特徴として、ふぁぼられ数に応じて、ふぁぼったー上でその呟きの文字色が変化するという仕組みがあった。1ふぁぼは黒色、2ふぁぼは緑、3ふぁぼは紫で、5ふぁぼになると赤色となる。赤色の呟きは「赤ふぁぼが貰えた」となり、ある程度人に好かれたものだということが一目でわかるようになる。

 

自分の何気ない呟きが「赤ふぁぼ」を貰えた時は、なんとなく嬉しかったものだ。一方、狙い澄ました呟きが黒ふぁぼに留まった時などは、これはスベったなと恥ずかしくなって、後からそっと消したりもした。「赤ふぁぼ」というのはちょうど良い目標だったのだ。呟きが大きく表示され、ふぁぼられ数やふぁぼった人のTwitterアイコンというのが比較的小さく表示されていたのも良かったと思う。

 

しかし、赤ふぁぼがない今、ネタついったらーは何を目標にすれば良いのだろう。赤ふぁぼがあった頃は、5ふぁぼでも100ふぁぼでも「赤ふぁぼ」であった。だから5ふぁぼというのが目安であり、承認欲求を満たすものでもあった。今は、ふぁぼられればふぁぼられるほど数字が増えるだけである。つまり、5ふぁぼより10ふぁぼのほうが、10ふぁぼより11ふぁぼのほうが明らかに強い。5ふぁぼというのは、地道にフォロワーを増やし呟きを重ねていけば到達できる場所だが、ふぁぼったーの無い今はそのような場所がないのだ。

 

これが結果として、何百RT何百ふぁぼもされるためだけの、パクリネタ常習アカウントを生み出してしまったのではないだろうか。5ふぁぼという適切な到達点がない今、承認欲求を満たすためにはとにかく数字を伸ばすしかない。100より300、300より500の方が偉いのだから、とにかくひろくウケているネタを選ぶことになる。赤ふぁぼというラインがあった頃は、狭い範囲にウケる呟きでも(最高ランクである)赤ふぁぼを手に入れることができた。ネタをパクらなくても自力でどうにかすることができた。ふぁぼったーが無くなったことで、ふぁぼ稼ぎに際限がなくなってしまったのではないだろうか。

【コラム】本とタイトル

タイトルを見ないで本を読むことはほぼ不可能だ。もちろん、例えば青空文庫で、友人に写しのコピーを貰うという形なら可能ではあるのだが、自分から本を読むという行動をとる場合にはタイトルが目に入ってしまう。裏表紙に書いてあるあらすじを見ないようにしても、タイトルだけは見えてしまう。

 

何種類も出ている有名作品の翻訳本には、タイトルが異なるものも多い。「十五少年漂流記」=「二年間の休暇」もそうだが、先日「審判」=「訴訟」というのを見つけ驚いた。「審判」を読んだことのある方ならわかると思うが、この小説は「審判」であって「訴訟」ではない。私はそう感じた。しかし、数日考えてみると、小説全体を考慮したものとして「訴訟」というタイトルをつけるのは、決して変ではない。さらには、どうやら原題は「訴訟」という意味らしい。タイトルというものは難しい。

 

 

 

ここからは浅いレベルの話に入る。良いタイトルにはついつい釣られてしまう。一般にも本はタイトルが9割と言われているし、私の家にもタイトルだけで買った本が何冊も積まれている。しかし、今の時代、本当に読みたい本を選ぶのなら、あらすじを見たり、反則ではあるがレビューを見ることで、ほとんどの地雷を回避することができる。タイトルが良いだけの悪い本は蔓延らないはずなのだ。

 

 

コドクの中のワタシ (1) (まんがタイムKRコミックス)

コドクの中のワタシ (1) (まんがタイムKRコミックス)

 

 

 

 

新しいメディアである電子書籍は、物体を運ぶコストをかけずに本を届けられるので、本来かなり安く販売できるものである。しかし今のところ日本では、日常的にそこまで安売りはしていない。特に新刊は、実本の価格と同等程度の値付けがされている。しかし、電子書籍の書店は当然、実書店よりも販売にかかる費用が安いため、かなり頻繁にクーポンを発行し、数十%OFFで本が買えるというお得感を出している。それに釣られた時、私の脳に浮かぶのは、タイトルが頭に残っている作品となるのだ。

この「コドクの中のワタシ」は、タイトルに惹かれたものの、あらすじを見て購入を踏みとどまった作品の1つだ。タイトルには「孤独」「私」というあからさまな自分向きの釣りワードが含まれており、しかもまんがタイムきららである。買わないわけにはいかない。しかしあらすじを読むと、

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平々凡々な女子高生・中野真由が編入したのは、犬ミミしっぽ娘、超能力娘、吸血鬼、自称天使、ナゾの宇宙人という、フツーじゃない生徒たちが集う特殊クラスでした。 ちょっぴり不思議なクラスメートたちと過ごす日々は、やっぱり不思議なことだらけ! 「放課後アトリエといろ」の華々つぼみが贈る最新作、いよいよ登場です!

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とある。つまり、自省的でもなくコミュニケーション不和にスポットライトを当てた作品でもなく、ただの不思議系萌え作品なのではないか。レビューを見てもそのような感じなので、書店で見かけても釣られずに終わったのだ。

 

しかし、この作品が800円ではなく、今なら300円程度で買えると言われたらどうだろう。タイトルには惹かれており、頭から離れない。ハズレでも出費は小さくて済む。仕方ない、読むしかない、そうなってしまうのだ。

 

 

 

「コドクの中のワタシ」の感想としては、別にキャラがかわいくないわけでもないし、そこそこ面白い4コマ萌え漫画だとは思う。しかしこの漫画のタイトルが「コドクの中のワタシ」というのはどう考えてもおかしい。主人公は通う高校を親により勝手に変更させられ、特別クラスに入れられる。そこは上述の通り特殊な女の子たちが集まっているクラスであり、主人公は「普通の人間」として、それらの生物に対しどんな影響を及ぼすのか、といったものを測るための実験台として入学させられる、という設定である。しかし、そこに例えば「奇妙な生物ばかりでやっていけないつらい死にたい」→「種類の違う生命体でさえも、しっかり話せば分かりあえるんだ!」といったカタルシスもなければ、現実における障碍者とのコミュニケーションと対比させるような奥深さも一切なく、もちろん裏の組織による陰謀といった要素も何もなく、主人公は全く孤独ではないし「私」を見つめたりもしない。初めからただ女の子同士表面的に馴れ合う漫画なのだ。タイトル詐欺である。

 

しかし、いくらこの漫画がタイトル詐欺であったとしても、そのタイトルにより私が電子書籍を購入したという事実は残る。それは、私が本当に満足した本を買った時と変わらないし、私が読めば満足するはずなのにもかかわらずタイトルによって日の目を見ない本よりは「評価」されたことになる。

 

やはり「本はタイトルが9割」なのだろう。

憲法の創造力(木村草太)

6テーマについて判決を取り上げ、精査していく内容。トミナガくんという導入の寸劇は全く成功していない(読みやすさに寄与していないと私は感じる)が、本文が論理的に構成されていて読みやすいのでオーケー。以下6テーマとそれについての感想を軽く書いておく。

君が代不起立

君が代を歌うことの意味を考え、その目的を達成するのに式典で君が代を歌うことは相応しくないのではないか?という見解が披露される。極めて論理的で非の打ち所がない。

一票の格差

説得力がある。違憲だという考え方は短絡的で浅薄だと思わされる。皆さんはどう思うだろうか。

裁判員制度

裁判員制度に対する怒りをぶちまけている。たしかに、導入時の啓発ポスターもそんな感じだった気がする。

政教分離

日本人一般のもつ多神教観にまで踏み込んだ内容で、指摘は正しいと思うがコメントしづらい。

生存権生活保護制度

社会的健康というのは私もよく考えることなので、かなり現代的で鋭い考え方だと思う。生活保護制度ではただカネが渡されるだけだが、それでは生存権を保障できていないのではないかという内容。住居の話はかなり頷けた。

公務員の政治的行為

全くその通りで、バカげた話である。


全体を通して思うのは、違憲合憲だけではなく、その理由が大事なんだよということ。僕みたいな素人にはその程度しかわからなかったが、新書なのでまあいいでしょ。もしかしたら、本の内容とは関係なく、判決文→解説という流れが僕好みなのかもしれない。君が代不起立を取り上げた第一章が一番面白かった。入門書らしく文献ガイドもついているのがグッド。

憲法の創造力 (NHK出版新書 405)

憲法の創造力 (NHK出版新書 405)

アニメ『艦隊これくしょん -艦これ-』で良かったシーン ベスト2

1:4話で吹雪が睦月を無言で強く抱きしめるシーン

戦闘中に、金剛に危機を救ってもらい、さらにその金剛に抱きしめてもらったことで「そうか……そうなんだ」と吹雪が気づいたことが前振りになっている。無言であるのももちろんだが、睦月が痛がっているところがポイント。なぜなら、痛い=生きている、だから。(創作物上ではそういった意味をもって使われる表現なのである。)轟沈した仲間の死を受け入れられない睦月に対し、吹雪の表したメッセージは、まさに「あなた生きている」ということなのだ。

 

2:12話で大井が敵戦艦にドロップキックをかますシーン

北上と大井はアニメを通してギャグレズ要員として扱われてきたが、特に前11話では「別々の艦隊に配属される」という事実に対し、大井は悲しみ、北上は「楽しみだよね-」「どっちがたくさん倒せるか競争しよう」と呑気なコメントをしていた。その後、出撃した北上はいつものように「右任せるよ、大井っち」と声をかけるが、そこに大井の姿はない。12話ではそんな北上が襲われる瞬間に「大井っちー!」と叫び、そこに大井が飛び込んできてこのシーンになる。艦娘は戦艦をもとにしており、ドロップキックという攻撃手法は明確に狙い澄ましたギャグである。ギャグなのに、そこには大井、北上の愛があり、少しほろっとくるのである。

ファミリーマートへ サッカー日本代表のユニフォームを着ている店員について

もしサッカー好きの店員が勝手に着ているのを許しているだけなら、なぜサッカー日本代表のユニフォームだけが許されているのかが気になります。不思議です。
ファミリーマート以外ではあのようなユニフォームを着用している店員は見たことがありません。

もし会社として、サッカー日本代表のユニフォームを着ることを店員に強制、あるいは奨励という名のもとに強制しているのなら、それは気持ち悪いからやめてください。商品としてサッカー日本代表のグッズを置くのは勝手ですが、違う商品を購入する客に無理矢理サッカー日本代表ユニフォームを見せつけるような形態はやめてください。店員を利用して、気持ちの悪い主張をしないでください。

なぜ大きな問題にならないのか不思議でなりません。

「女はなぜ愚かなのか」―ルミネCMの事件をうけて考える―

ルミネCMの件とは、ルミネが非常に問題のあるCM動画をYouTubeにアップロードした問題である。しかし、このCMそのものについては多くのブログで取り上げられているため解説しない。女性差別という視点(「寝てそれ?」というセクシャルハラスメント、「巻いただけですって〜」という、女の口調への見下し、「大丈夫だよ」という他人の心理状況に対する根拠のない決めつけ、「需要が違う」という純然たるセクシャルハラスメント、ご丁寧に「「単なる仕事仲間」という意味であり「職場の華」ではない」とセクシャルハラスメントであることを辞書風に文字を入れて解説)もあるが、


この視点がとても良いと思うので引用する。前座がセクハラだろうがなんだろうが、最後の「変わらなきゃ」というメッセージがないのなら肯定されないわけで、これによって(性以前に)自分でない他人からの圧力で人格を捻じ曲げるという暴力が肯定されてしまっている。

このようなCMはなぜ作られたのだろうか。それは、女が愚かだからである。本題に入っていこう。

このCMはあくまでYouTube上での公開動画であり、まだテレビで流されたものではない(ようだ)。それでも、ルミネという会社は大きなショッピングセンターをいくつも持つ有名企業であり、適当に、雑に作られたものではないだろう。もちろん、単なるセクハラとして作られたものでもない。動画説明文には「ルミネが働く女性たちを応援するスペシャルムービー」とあった。このCMは、女にルミネを利用させるために考えられて作られたものなのだ。

このCMでは「職場の華」という不適切表現が出てくる。これは、その職場において女は職務能力を求められているのではなく、性欲処理能力を求められているのだと言っているに等しい。これがなぜ、女にルミネを利用させるために作られたCMで出てくるのだろうか???おかしいと思うだろう。しかし、おかしくないのだ。

ここで、私のような男がいたらわかってくれるとは思うが、少し話を聞いてほしい。小学生の頃、周りの男はただ暴力的で、ギャーギャー騒ぐガキばかりだった。しかし女には、冷静で頭の良い人もいくらかはいた。それが中学生以降になると、女は一人残らず醜くなっていく。汚い声を出すようになり、小学生のガキ以上にガキといった、無能で短絡的で浅はかな人が大勢を占めるようになる。それを見ながら、私は女が嫌いになった。女というのはなぜこんなに愚かなのだろう、と。

こうやって私の中での女性蔑視思想は育まれたのだが、5年ほど前あたりから、私はこの考えを捨てた。「女は愚かではない」と気づくことができた。その理由は3つある。
1つは、人は単に人であるということ。男が皆優秀かといったらもちろんそんなことはないし、女だって優秀な人はいくらでもいる。単に素晴らしい人と愚かな人がいるだけで、「女は愚か」だと決めつけると、それは素晴らしい女の人を見過ごしてしまうことになる。素晴らしい人というのがどれほど貴重な存在か、皆さんならわかってくれるだろう。くだらない思い込みは損だと思った。
1つは、そもそも愚かだというのは私個人の勝手な視点によるもので、傲慢であるということ。もちろん「私が愚かだと認識しているにすぎない」という部分もあるけれど、それ以上に自分の傲慢さが嫌になったのだ。

最後の理由は、「女を愚かにしているのは、他ならぬ男達である」ということ。これが大きかった。多くの女性が性的暴行の被害に遭っていることは皆さんもご存知だとは思うが、女はとにかく「男目線」に晒される日常を送ることを余儀なくされる。男が「女目線」に晒されることはあまりない。なぜなら、「女性活用」という言葉(この言葉も汚いが)がわざわざ叫ばれるほど、社会は男性で満ちているのである。男性がナチュラルスタンダードで、女性は「人ではない」とされる、それが「社会」なのだ。こういった環境で女が生き残るには、男に気に入られるしかない。曽野綾子は、極めて男性的な(暴力的な)主張を重ねることで、女性であるにもかかわらず保守の大御所という地位を手に入れることができた。同様に、あらゆる女は男目線に晒され、男に気に入られるよう日々「暴行」をうけ、人格を破壊されていくのだ。そうして出来上がったのが、常に男目線を気にし、媚びへつらい、髪を巻き職場の華である「女」である。もちろん、そうした「女の能力」(男でいう、仕事の業務遂行能力にあたるとされるもの)があまり足りていない人や、そもそもそういった性暴力に耐えられない女も存在するだろう。

ルミネのCMは、こうして人格を破壊されている女に対して「お前は女だろ?男に気に入られるよう、「女の能力」をつけろよ。そのためにルミネに行けよ」と言っているのだ。ルミネは単に、(ルミネでの買い物が不十分な)消費者層に向けて「ルミネで買い物してくれよ」というメッセージを出しているに過ぎない。「男の能力」で日々を生き抜いている女に対して、男の圧力で「女の能力」を強要され、受け入れさせられる。ルミネはこうした国家的性暴力の大きな流れに乗って「女の能力」を求めさせられる人々を手助けしゼニを稼ぐ、小悪党にすぎないのだ。

読むための日本国憲法 (東京新聞政治部編)

この本は一度読み始めたことがあったのだが、自民党憲法改正草案に対する批判ばかりだと感じて(別に私があの草案に賛成してるとか反対してるとかではなくて、それは自分の読みたい内容ではないと思い)、なんとなく読む気がしなかった。

実際は、この本の目的はそれではない。今そこにある日本国憲法が、戦後(特に最近、この十年程度で)どのような意味をもってきたのかということを、時事ニュースを通して実感してもらうことを狙いとしているように感じた。

 

構成としては

  • 条文
  • 条文の意味、他条文との関係についての解説
  • 実際の社会情勢や事件とのつながり
  • そのままであるべきか、どこを変えるべきかという各所からの見解

といった感じになっている。各所からの見解では、自民党改憲草案以外にも中曽根試案民主党の憲法提言によるものが時々示されている(基本的に自民党の草案が中心である)。もちろん、一般的な護憲派や、憲法学者の見方も示されている。決して自民党草案への批判が中心なのではなく、単に「自民党案では~となっています」と併記されているだけのものも多いので、むしろ自民党改憲草案への徹底的な批判が読みたいという人には、肩透かしになると思われる。

 

1条1条にきちんとページを割いていることが特徴で、9条では自民党改憲草案を全文引用して6ページ割いているが、短いものにも2ページ使っている。例えば55条は一切使われていないしこれからも使われないだろうというものであったり、74条は一見無意味そうだけれど実は重要だよと解説されていたりする。「改憲⇒9条改憲⇒戦争大好き」「9条護憲護憲日本国憲法万歳」のようなつまらない流れに乗らずに、じっくり1条1条を見つめてみたいという人には薦められる。

 

あとがきでもアピールされている通り、憲法の「今」を伝えているのが本書の良さであり、最近の事件や制度変更についての解説が多い。明らかに憲法を身近に感じてもらうための書き方なので、読むなら早く読んだ方がいいと思う。これはタイトルの「読むための」の部分につながっていて、実際私は読みやすかった。第一歩として良いのではないだろうか。

読むための日本国憲法 (文春文庫)

読むための日本国憲法 (文春文庫)