以下は一応主要なネタバレをしないように書く。
ここでの乗降禁止
2015年発売のアニソンランキング 5位〜1位
舞い上がる 高揚感
2位 僕たちはひとつの光 劇場版ラブライブ挿入歌(ED)
劇場版『ラブライブ!The School Idol Movie』挿入歌 「僕たちはひとつの光/Future style」 (デジタルミュージックキャンペーン対象商品: 200円クーポン)
この曲のYouTubeリンクが見つからなかったために紹介の仕方を変えることになった。まあ歌詞がネタバレ的?で、1分30秒だけ聞かせられないので仕方ないか。極めてポジティブな楽曲で、転調があるだけで好きになりそうではあるが、楽曲全体としても好みである。
1位 Shine!! アイドルマスターシンデレラガールズ2クールOP
メッセージとしては、アニメとの相乗効果が大きい。多人数ボーカルは本来嫌いなのだが、JPOPとして音の置き方が完璧だったので仕方なかった。歌詞は一部かなり適当(歌としての通りの良さを優先しすぎている)ではあるが、メッセージの方向性は好みなので気にならなかった。2015年の1位として文句はない。
今年は全く音楽を漁ることができなかったが、それでもそれなりに良い曲に出会えた。やはりアニメタイアップソングは偉大だなと思う。
『GAMBA ガンバと仲間たち』感想4 2回目を見ての感想 ボーボと潮路
この映画を1回目に見た時には、どうしても原作小説との比較という形になってしまったが、2回目の今回は小説とは切り離して見ることができた。結果として、今回のほうが素直に良い映画だと思えた気がする。今回は3Dで見たのだが、3Dとしての感想はよくわからない。飛び出るシーンは飛び出ていたけれど、ニンテンドー3DSの3Dと同じように、個人的にあまり感動はなかった。ただ、グラフィックがとても丁寧に作られていることはよくわかった。
『GAMBA ガンバと仲間たち』感想3 原作小説から削られた部分について
原作『冒険者たち』にあるシーンの中で、映画では完全に削られているものがいくつかある。最初の記事で述べた、映画にはいないネズミが頑張るシーン、特にノロイ戦でのバレットの踊り、バスとテノールの歌が無くなっているのは残念だ。それだけではない。オイボレはもともと島のネズミで、ひとり逃げ出したものの戻ってきたという設定なのだが、彼が死ぬシーンが変更され、島のネズミ(忠太、潮路の父親)が死ぬシーンになっている。これはオイボレを出さないという前提のもとでは良改変であるが、オイボレは一度島から逃げ出しながら若者たちのために(ノロイに釣られた若者たちの目を覚まさせるために)死ぬという極めて重い経歴を背負っていて、忠太と潮路の父親が身を呈するのとは意味が変わってくる(意味が削られてしまう)のではないだろうか。また、この死ぬシーンについても、原作小説と映画表現ではだいぶ違うものになっている。原作ではオイボレがイタチたちのもとに着くと、イタチの頬を一発叩き、それに対して周りのイタチが飛びかかり、周りのイタチによる輪が解かれるとオイボレは跡形もなく消されてしまう、というものなのだ。僕はこれを映像化するなら、骨だけになったオイボレの姿を見たいと思っていたのだが、全年齢向けの『GAMBA ガンバと仲間たち』ではそうはならない。忠太と潮路の父親(一郎?)はイタチに飛びかかるが、イタチに叩き飛ばされ、海に落ちる。死の表現としては温いと言わざるを得ない。児童文学で表せる死というものが、どれだけ自由なものであるのか、とてもよくわかった。
『GAMBA ガンバと仲間たち』感想2 映画版『冒険者たち』の良い点
予定を変更して第二回は映画版の良かったところについて書いていく。変更点に絡む場合は原作の内容についても言及する。
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『GAMBA ガンバと仲間たち』感想1 小説と映画
このブログタイトルに表れているように、僕はoranqsを最後のネット言論にするつもりだった。少なくとも初めはそのつもりでいた。しかし、色々な理由があって、かなりふざけたアカウントになってしまった。この原因は偏に僕自身の態度にある。僕はもっと、誰に伝えるでもなく書くべきだった。それを忘れていたのだ。誰も読んでくれないことが当たり前なのも、インターネットには現実同様嫌な人ばかりいるのも、もっとずっと前からわかっていたことだ。よってこれからは、せめてブログだけでも、誰に伝えるでもなく、本当に自分が感じていることを書いていきたいと思う。そのきっかけとして『GAMBA ガンバと仲間たち』は十分なものだからだ。
これから書く一連の記事は、かなり映画の感想からは離れていくと思う。感想を書くのは映画ではなく人間なのだから、映画から離れるのは当然だ。しかし常識ではないので、ここで先に映画の簡単な感想を述べておく。映画『GAMBA ガンバと仲間たち』はアニメーションの出来もよく、駄作ではないが、原作ファンからすると展開が早い気もする。場面場面をきっちり描いてはいるが、間がなく、詰め込んでいるという印象だ。よって貶しもしないし、強く勧めもしない。僕は原作ファンなので見ていて何回も泣いたけれど、一般の観客がそうなるかどうかはわからない。
ちなみに、僕があわてて『ガンバと仲間たち』を見に行ったのは、ガンバが大コケという記事を見たからだ。このような映画はいつ公開停止するかわからないので、早く見に行くしかない。上述の通り、決して出来が悪いわけではない。(以下、映画だけでなく原作のネタバレも含みます)
原作『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』にはタイトル通り、ガンバ以外に15匹の仲間がいる。マンプク、ヨイショ、ガクシャ、イカサマ、イダテン、ボーボ、シジン、バレット、バス、テノール、アナホリ、カリック、ジャンプ、オイボレ、そして忠太。映画ではマンプク、ヨイショ、ガクシャ、イカサマ、ボーボ、忠太だけで、この時点で小説ファンとしては完全に満足できる映画化ではないことは明らかだ。確かにマンプクはガンバの前からの友人だし、ヨイショは船乗りネズミのリーダー、ガクシャは参謀、イカサマはサイコロを投げて占う上に戦闘能力も高く、ボーボは小説と同じように死ぬ重要キャラだ。忠太は島から助けを求めて来るので当然外せないとしても、他のネズミだって当然外せないのだ。カリックとアナホリは住処や食べ物を確保するし、バス、テノール、バレット、ジャンプはノロイの誘惑に抵抗する非常に心強い味方で、シジンは島に伝わる歌の重要性に気づくし、イダテンはガンバより足が速い。そして何と言ってもオイボレは、この作品で1番重要といってもいいシーンで死ぬネズミなのだ。彼らが外された理由は簡単で、それらを描いていると時間がかかりすぎる、労力もかかりすぎるというものだが、少なくとも小説『冒険者たち』には外せない。アニメ『ガンバの冒険』(私は未見)もやはり仲間が外されているようだが、この作品もそうであった。
もっとも、彼らが映画(あるいはアニメ)として外されなければならないのには、より正しい理由がある。小説では描かれないだけで済むシーンで、彼らは存在するだけ、ただついて来るだけ、そんな役割を背負わせれてしまうのだ。アニメや映画にしてしまうと、どうしても彼らの存在は主役を引き立てるための脇役、一芸に秀でる一方その他の場面では「その他ネズミ」扱いの脇役にしかなれない。小説の場合はそういった感覚をあまり感じることのないまま(少なくとも、喋らず突っ立っているアナホリやバレットといったものを視界に入れずに)読むことができる。これが小説と映画、小説と映像の壁であり、小説の完璧な映画化をする上で(これだけの人物を出す小説の完璧な映画化が)不可能であると言える部分だと思う。原作、映画の詳細な比較は次回以降に回すが、絶対的なメディアの違いというものは、絶対的な表現の違いを生んでおり、内容が変わってしまうことも仕方ないし、私が十指に入るほど好きな小説『冒険者たち』の、夢見が島へ向かった16匹は等しくヒーローであるということを強調しておきたい。