「死にたい」にも色々ある

http://www.asahi.com/articles/DA3S13216473.html

私はTwitter上で頻繁に「死にたい」と言う人間なのですが、死ぬ気は全くないどころか、「死にたい」が「助けて」の裏返しと言うこともありません。

じゃあ「死にたい」が全くの虚言なのかというと、個人的にはそんなこともありません。死にたいと思った時に死にたいと書いています。

もちろん、中には深刻な虐待、暴力に遭っていたり、健康で文化的な最低限度の生活が送れずにもう嫌だ死にたいと言っている人もいるのだと思います。そういう人を救えるようになるのはいいと思います。しかし、そうではない死にたいもあると思います。

もし僕が「死にたい」と書いている時にいきなりNPOの職員に「どうしましたか?」と声かけられたら「うるせえ死にてえのかお前 殺してやるぞ」と返すと思います。

貧困や暴力と戦っている人達を否定するつもりは全くなくて、それはそれで素晴らしい取り組みだと思うのですが、誰が助けることもできない、完全に自分の責任でもって苦しんで「死にたい」と書いている人もいるし、それはボトルメッセージを流しているのではなく、ただ「死にたい」と書いているだけなんだということが言いたかったんです。

なんだか、今回の報道を見ていると、結局苦しんでいる人達が救われないだけではなく、逆に自殺防止NPOを装って殺害したり金銭を騙し取ったりする人が出そうですよね。自民党議員はアニメのせいにしたりネット監視だとか言ったりしていて、いや、そんなクズはさっさと落選させればいいのですが、マスコミは批判せずに垂れ流すし、有権者も大歓迎で連続当選させるし……。まあそれはまた別の話なんであれですけど。

身体や精神に不調をきたすと簡単に行き場生き場がなくなる社会環境とか、家庭に問題を抱えている人間を差別し排除しようとする社会的風潮とか、そういうものをなくしていくべきだと思います。ネットに溢れる「死にたい」は僕みたいな人間のやつだけで十分でしょう。「死にたい」と発せられること自体を止めるとか、自殺防止フェンスを設置するとかじゃなく、もう少し根本的なところの解決に向かっていってほしいです。