映画『ペンタゴン・ペーパーズ/最高機密文書』感想

原題:The Post

この映画を見た誰もが、ニューヨークタイムズ朝日新聞を、ワシントンポストに読売新聞を重ねるだろう。ニューヨークタイムズペンタゴンペーパーズを報道している裏でワシントンポストが大統領の娘の結婚式を載せてしまう様は、公文書改竄をスクープした朝日新聞と政権に歯向かう発言を行った前文科事務次官の下半身スキャンダル(っぽい印象操作)を報じてしまう読売新聞に重ねられる。

この映画から学べる主要な教訓は3つある。1つ目は「新聞はどうあるべきか」。ワシントンポスト社主のキャサリン・グラハムとベトナム戦争の中心におり文書作成に関わったマクナマラは親しく、マクナマラはこの文書は後世のための記録として作成したものだ、公開するなと迫る。グラハムは自分の親戚がベトナム戦争に送られ命の危険に晒されている一方、マクナマラとの関係や、新聞社に対する投資家からの圧力もあり、苦悩する。渡邊恒雄は安倍晋三と親しく、何度も会食を繰り返しており、グラハムに重なるところが多い。それでは、グラハムをペンタゴンペーパーズの報道に踏み切らせたものは何か。それは現場記者の熱意と、報道とは何であるかというところに立ち返った報道人としての姿勢である。読売新聞にブラッドリーやバグディキアンがいるかどうかなのだ。

2つ目には、公文書保存の重要性だ。本作では政権側は秘密裏に確かな文書を作成していたのだが、もしこのような機密文書すら偽物だったらどうなるだろう。嘘をもとに分析がなされ、後の世代に更なる国家的損失を招くことになる。この作品においてベトナム戦争継続の根拠が問題視されたのは文書の記録がきちんと残っていたからであり、文書改竄されればそれ未満の話になってしまう。誤った戦争が起きても、後世の人々が誤った戦争だと知ることすらできなくなる(まさに太平洋戦争で日本が起こしたことだ)。なぜ正確な文書が記録され保存されていかなければならないのか、よくわかるだろう。

3つ目には国家とは何か、である。裁判所が最終的に記事の差し止めを却下したのには、国家とは何かが大きく関わっている。国家とは国民なのだ。ホワイトハウスや日本政府、ニクソン安倍晋三が国家なのではない。国民の声があるから、新聞社は機密文書をスクープできるし、裁判所も国民のための情報公開を止めることができない。私達次第で良い報道機関、そして良い国を作れるということを、もう少し私達は自覚すべきではないだろうか。素晴らしい報道には支援の声を。政府による国民に対する背信には糾弾の声を。

映画としてはあまり派手なところがなく、抑制的な描かれ方がされている。それ故にスカッとするものではないが、バランスのとれた映画だと感じた。戦いは続いていく。普遍的な作品であると言えるだろう。