映画『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』感想 公共とは何か、図書館とは何か、映画とは何か

『ニューヨーク公共図書館 エクス・リブリス』を見ました。私は相も変わらずフレデリック・ワイズマンの作風など全く知らないまま、(ドキュメンタリー映画であるということ以外は)事前情報を入れずに見に行ったため、これがこんな映画であるとは知りませんでした。

ドキュメンタリー映画であることは知っていたのですが、本当に、撮影した映像をただただ流していくだけなんです。1シーンあたり5~10分程度?に区切られている映像がただただ流れ続けます。ニューヨーク公共図書館というタイトルなのに、謎のミュージシャンのトークとか何分も見させられるんですよ。きつい。心から楽しめたのは冒頭の2シーン、リチャードドーキンスのところと図書館員が資料の問い合わせに答えているところだけです(他のところがつまらないというわけではなく、事前の期待とは違った程度の意味)。ん?『ニューヨーク公共図書館』というタイトルだから、ニューヨーク公共図書館で働くスタッフの華麗な司書ぶりがメイン要素になるんじゃないの?いや、私もそう思ってたんですよ。でもそういう映画じゃないんです。

この映画では、ニューヨーク公共図書館の沢山の分館が実際にどのような雰囲気でどう運営されているか、合間にニューヨークの街の風景を挟みながら淡々と映していきます。それは決してバラバラの映像ではなく、いや、というよりかは、決して一つのテーマに絞り誘導したものではないように見えながら、実際は一つのテーマ「公共とは何か」を全体を通して描くことになっているのです。前述のミュージシャンによる謎トークもあれば、老人向けのダンス教室シーンもあったり、子ども向けの教室で算数を教えるところやロボットを動かしてみるプログラムがあったり、また運営者の会議としては運営費を民間から確保するための提案や図書館が子どもたちの学習をどのように手助けすべきかという真剣な話し合いが映される一方で、Wi-Fiの貸し出しが明らかに図書館の(本来あるべきであろう)目的から外れたゲームや動画のダウンロードに使われている様を描いたり、パソコン室で真面目に検索している人がいる一方ゲームしている人も映していたり(※それは決して悪く扱われているのではなく、ただの姿として映されています)、とにかく色々な面を映すことで「公共」を浮かび上がらせようという製作者の考えがよく出ています(公共とは決して清く正しく的な意味ではないということ)。序盤のシーンで本を借りたところからでなくても返すことができるという話があったのですが、恐らくそのために各館間で本の輸送が行われており、本がコンテナに詰められていく映像もあるんです。人がものすごいスピードで仕分けしていて、こういう人が支えているからサービスが成り立つんだなと唸らされます。

しかしまあ、この映画はけっこう切り取りがはっきりしているため、ナレーションも音楽もなくただ映像を流しているわりにはむしろ作者の主張はあまりにもはっきりしていて、終盤、黒人の歴史が捻じ曲げられた教科書が使われている問題を取り上げるところなどでは言葉としてはっきりと図書館の意義が提示されるため、自然な映像集という感じはしないんです。ただ「公共」を示すために多様なプログラムを映していることで、一体この映画は何なんだという気分になってくるのも確かです。図書館がこれだけのサービスをやるというのは日本にはない発想で、もしやったら間違いなく図書館を勘違いしている、税金の無駄遣いだなどという意見が噴出してくるであろうとは思うのですが、まず、それは我々が図書館の意味を勝手に狭めているだけなんだろうなということを思ったのと、あとは公共であることの強みなんだろうなということを思ったのです。民間でも国営でもなく公共だから、縛られ過ぎることもなく堕落し過ぎることもなくやっていける。これを思った時にNHKのことを考えずにはいられなかったんですよね。昨今、NHKは政権べったりで終わってるとか、料金払いたくないなどという声が出たりしていますが、NHKは公共放送なんだから、当然のように公共に資する番組構成を行うよう、我々市民が話し合いをして作り上げていくべきなのではないでしょうか。

ただシーンが映されていくだけの映像は、NHKスペシャルからナレーションを抜いたようなものでもあり、これが映画なのか?という感じもするのですが、NHKスペシャル等と違うのは一つ一つの場面をかなり長く撮っているということで、そこに個性というか意地のようなものが見えてくるのです。しかし一方、前段落で述べたように切り取りがはっきりしていると感じるところもあったので、結論としてはうーんという感じでした。ただニューヨーク公共図書館の凄さ(それは一般的な図書館の凄さという意味とは少なくとも私の中では全く異なる凄さ)が実感として伝わってきたことは確かなので、あるべき公共のイメージ像として(公共とは決して清く正しく的な意味ではない)学ぶものは多かったです。

未来をつくる図書館―ニューヨークからの報告― (岩波新書)

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