映画『カメラを止めるな!』評論 この映画を楽しんでしまった皆さんへ

カメラを止めるな!』を見た。この映画は大変評判になっており、その皆さんによるとこの映画は「ネタバレになるので内容は言えないが今年一番の面白さ」ということであった。正直、私はこの手の「ネタバレだから言えないけど面白い」というものが大嫌いで、「ネタバレをしていても面白いのが本当の面白さだ」的言説にも少し共感するところはあるのだが。それは置いておいて、この映画について軽く検索してみてもネタバレを書いた文章が出てこないほど、皆一様に「ネタバレだから言えないけど面白い」といったことを書いているので、一体どんな映画なのかと気になってしまった。もしつまらなければ、このブログで詳細なネタバレを書いた上で批判すればいいだろうと思ったのもあった。

そして映画を見た感想としては、この映画は楽しかった。楽しかったけれど、今年一番とかそういうものには疑問符がつく。そういう感想であった。帰り道、この映画のことを考えながら、私は何故この映画が気に食わなかったのかということを考えていて、少し思ったことがあるので記述しておく。以降の文章はこの映画を見た人向けなので、見てない人は読まないでください。また、この映画の宣伝口コミで出てくる「ネタバレになるので言えない」系の宣伝文句については、確かに正しいところがあると思うので、ネタバレを知ってから見てしまうと魅力が減るというのには同意できます。同意できますから、見てない人は読まないでください。ただ、見ることを薦めるかというと私は薦めません。その理由については以下の文章に記述されることになるので、見てない人に届かないのが残念ですが……。それでは以下本論です。見てない人は読まないでください。

 

 

 

映画が始まってすぐのところは、この映画は第四の壁系の映画なのかなと思っていた。つまり、映画の撮影をするスタッフが明確に存在するのにもかかわらず、その存在には一切触れずに「ゾンビものの映画の撮影現場」が繰り広げられるからだ。しかし、監督がカメラ目線で「カメラは止めない!」と言ってしまうことで、その予測は外れる。その後、退屈で大学の学園祭で流れそうな映像が流れ続ける。30分くらい(らしい)。それが終わってから、その映像のネタバレが展開される。つまり、その映像中にあった様々なシーンのネタバレというか、背景にあったことの解説が延々と行われるのだ。例えば、ゾンビが体液をかけて人がゾンビに感染するという(私はゾンビ映画を見たことがないので伝聞としてしか知らないが)極めて普通のシーンに見えるところでは、実はゾンビの役者がアルコール中毒で、現場に上役が持ち込んだ酒をこっそり飲んでしまっていて、あれは迫真の演技ではなく本物のゲロをかけられていたとか、終盤、斧で切り殺されたはずの役者が「何あれ!」と起き上がって叫んでしまうという演出として理解不能、NG必至のシーンがあるのだが、それは人間ピラミッドを見て言っていたとか。その撮影現場ネタバレの連続に、撮影続行なるかという時に作られた人間ピラミッドでの一体感や、映像監督としての父と娘の親子愛みたいなものを絡めて、「ちょっぴりハートウォーミングですよ」「感動できますよ」という作りにしているのだ。

 

本作の上映中、私の横に座ったおばさんがよく笑っていたし、映画レビューサイトでも高得点を記録している。つまり一般に評価の高い映画となっている。ではこの映画の面白さとは何なのだろうか。

 

この映画は、作品内容そのものに面白さがあるわけではない。先述した通り、親子愛や一体感の描写は極めて安っぽく、浅薄で、添え物でしかない。メインは変な映像を延々と見せられた後に、その映像のネタバレが展開されるということにある。つまり裏を見せることがメインになっている。しかし、それは「裏であることの面白さ」であって、例えば映画現場の役者が酒飲みとか、トラブルがあって場をつなぐために行われた変な会話とか、それ自体が面白いわけでは全くない。あくまで「裏である」から面白いだけなのだ。そして、じゃあこの作品には何があるのかというと、それは「無」である。ただ裏を見せているから面白いのであって、中身は「無」なのである。

 

また、この作品の見せている裏の内容も、役者や撮影の都合であったり、監督の熱意であったりするんだけれど、裏として見せたそのすべてが「映画ってすごい」に回収されていて、映画肯定の文脈でしかない。つまりこの映画で行われていることは皮肉ではなく、壮大なる自己正当化なのだ(エンドロールで、その映画の裏で行われていたことが「映画」であり、実際の撮影とは違うことが明かされるのだが、これも「映画造りはこうなってますよ、みんな頑張ってますよ」という宣伝でしかない)。映画映像以外の部分で見ても、アイドル女優が「私はやりたいんですけど、事務所NGなんで」と言うシーンの安っぽさったらない。その後に迫真の演技をさせてプロデューサーに「いい演技するのよ」と言わせてバランスを取るというのも浅薄。そういう安っぽいイメージを積み上げても、裏を描いているから大衆は面白がってくれるだろうと思われているのだ。この作品には中身はなく、「裏である」ことしかない。

 

つまり、この作品の面白さというのは、例えばペヤングや佃煮にゴキブリが入っているとか、NHKアナウンサーがホワイトソックスをホワイトセックスと言い間違えてしまうとか、そういう類のものでしかない。あるいは、とんねるず等フジテレビ系の番組でADがイジられるようなものだろうか。確かに人々はそういう事故や裏の面を常々期待してしまうものだけれど、それはくだらないバラエティ番組レベルのものであって、映画のもたらすべき面白さとは違うだろう。

 

ここで、この映画が絶賛されていることに注目してほしい。映画の評者は所詮大衆である。また、映画評論家というのは映画愛があるから、映画を必死に肯定しているこの映画を称賛してしまうだろう。つまり、この映画は評価が高くなるのだ。

 

評価が高くなるだけで、中身が空虚なこの映画。宣伝文句は「ネタバレになるので内容は言えないが今年一番の面白さ」。私は、この映画こそが最低の商業主義映画であり、アイドル俳優女優を登場させる安っぽい恋愛映画よりも内容のない、ひどく言い訳じみているだけの、ダメな作品であると結論づけた。そしてそんな映画をそこそこ楽しんでしまった私も、ペヤングにゴキブリが入っていることを期待する愚かな大衆の一人なんだなということを自覚させられたのであった。