森喜朗の五輪組織委「名誉最高顧問」就任案についての私見

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この件について、それはおかしいとする意見や役職がついていないと不都合があるという意見など、様々なものが飛び交っている。

しかし、私がこの事件について思ったことは全く違う。

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女性差別発言で東京五輪組織委員会会長を辞めさせられた森喜朗は、東京五輪前のバッハ歓迎会には出席している。そのような一連の流れがあって、森に五輪関係者との歓談を交わさせるために「名誉最高顧問」に就任させようという話につながっているわけだが、さて、これが問題だ。なぜ森喜朗はこのような五輪関係者との歓談に臨む際に、例えばバッハにより「森さんよ、今回のオリンピックでのあなたの役目は終わっただろう、出て行ってくれ」等全く言われることなく参加し続けているのか?参加し続けられるのか?ということ。

森は組織委員会会長を辞める際に、橋本聖子への引継ぎ業務は必要なのかもしれないが、その後、五輪にかかわってはいけない存在のはずなのだ。組織委員会会長を辞めたというのはそういうことだ。小山田は音楽を辞めたから開会式で小山田サウンドが鳴るなんてことはないし、ラーメンズ小林は「小林氏が一人で演出を手がけている部分はなかった」ということで五輪にかかわっていないことにされた。外されるとはそういうことだ。一旦は形式的に組織委員会会長を辞めた森喜朗は、なぜ平然とバッハに会いに行けるのか?そして、なぜバッハらは平然と森喜朗を受け入れてしまうのか?

ここが問題の真相だ。IOCは差別をなくそうとか、これっぽちも考えちゃいない連中ということ。IOC委員の誰か一人でも、森喜朗を見かけた時に「あんたは出て行け」と言っただろうか?そんな報道はない。誰も森喜朗を否定しない。平然と受け入れ続けている。性差別は許容され、ここ(式典、競技場、テレビ番組、スポンサー)が盛り上がっていればいいじゃないかと、商業にまみれ、堕落している。オリンピックは平和の祭典なんかじゃないんだ。残念ながら。

IOCが解体されるか、それに近い何かが起きて、いつかオリンピックが平和の祭典として開かれる日が来るかもしれないが、少なくとも2020東京五輪の期間中に平然と森喜朗(「元首相」「名誉最高顧問」どちらでもいい)を否定せず受け入れている今のIOCには、あるべきまともなオリンピックは行えないだろう。