気味の悪い宣伝で話題の『フリー・ガイ』はかなりのハイコンテクスト映画だった

気味の悪い予告編はこちら。

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これ自体はまあ映画見た後だとどうでもよくなるので特に語りません。 以下ネタバレを含みます。

『フリー・ガイ』って完全に僕らとその下の世代向けの映画なんですよね。日本だと大作映画って普通に老人が楽しめるように作られているけれど、この映画は老人が楽しむことは不可能なんじゃないかと思う。

どういうことかというと序盤、オンラインゲームの中の世界であることとそこに潜入しているユーザーがいること、ゲームの運営会社社員がなんやかんや働いていることがものすごいスピードで説明されるんだけれど、特にわかりやすいセリフを挟んだりしていないので「ネットゲームをやったことがあり、その運営会社に不満を持ったりしたことがある」くらいの人でないとついていけないと思う。そして運営会社社員による「ガイ」の追跡劇はけっこう派手なCGとアクションで見せてくれるので、こんなカネのかかる映画をこんな狭いレンジ向けに出すものなの?とかなりびっくりしたのであった。ただし、この後は深いレベルの話が展開されるわけではなく、あくまでベタな話の舞台としてオンラインゲームを使っているに過ぎない。だから大丈夫だと判断したのかな。

この映画で語られている英雄譚は実に古典的なもので、「男は目当ての女にモテるために行動を起こすが、それがきっかけで大きな何かを成し遂げる」という昔ながらの原理原則を通している。この点は子ども向けの設定だなと思うのだが、その一方で「それまでのしがらみに囚われた人生に逆らい、はみ出してみよう」という大人向けのメッセージがあり、これがガイと実在世界のゲーム制作者の両面から語られていく。

僕が『どうぶつの森』が凄く好きだったことと、その『どうぶつの森』にどういうゲームになっていくことを望んだかというとまさにこの映画で語られているようなゲーム内キャラクターが独自の生命であるかのように動く方向であったので(僕は人工知能化することを望んでいたというより、そう錯覚するほどに自由な会話ややり取りができるようになることを期待していた)、どうぶつの森シリーズではそれが全くかなわず離れてしまったことを含めても、僕にとっても憧れのゲームネタが話のキーになってくれたことは良かったと思う。

ただし、この映画では人工知能方向への踏み込みはたいしてなされておらず、結局この人工知能は「人間から人気のあるゲームキャラクター」止まりであって、当然出てくるであろう彼らを生命として認めるのかどうかといったSF的な深入りはない。あくまでゲーム要素として成功した、良かったねという浅い着地になっている。

アントワンの実際に居そうな感じとか、銃社会ギャグとかも結構面白く、日々の収入を抑えられ「モブキャラ」に押し込められている者が反発しカネを稼いでいくという構造がそもそも熱いものだし、また異性愛が中心になってしまっている作品の中であえて登場させた「男とつるんでいた美女がそれを止め、男と付き合わない生き方を宣言する」といったフォローもあるので良い映画だとは思う。

その一方で、会社のセキュリティが緩すぎたり、ガイの設定や最後海を越える様が『トゥルーマン・ショー』に似ていることにより生じた「ガイに熱狂していた人達も、それはその瞬間への熱狂であってゲームや人工知能への評価ではないし長続きしないのでは、チャンネルを変えられてしまうのでは」という疑問には全く答えられなそうなところとか、寒いゲイギャグとか、あのキャラやあの武器のカメオ出演が面白いのは結局巨大資本主義が札束で殴っているだけの話であってそこを評価してしまっていいのかという疑問とか、そういった私が童心のみで映画を見ているわけではないことにより生じた引っかかりも色々あるので、良かったけれど今年最高の作品とかは言いにくい感じだなというのが私の感想です。ただ多分ベストテンには入ります。そのくらい面白かったですよ。