映画『護られなかった者たちへ』感想 取り上げたテーマは100点、映画としては0点……叫びまくる俳優たち、どう見ても不自然なセリフ、そして結論はテロ推奨!?

ネタバレありで書きます。この映画、別に見なくてもいいですよ。皆さんは生活保護の扶養照会って知ってますか?いきなりネタバレしちゃうけれど。この制度知っててクソだなあって思っている人は見なくていいです。知らなかった人は、まあ赤旗の記事でも貼っておくので今知ってください。知ってクソだなあって思ってほしいですね。このクソ制度を知ってもらうことには大きな価値があります。なので、この記事タイトルにあるように、取り上げたテーマは100点です。映画は見なくていいです。

映画『護られなかった者たちへ』は、震災によって肉親を失った者と、元から帰る場所などなかった者の物語です。この設定は凄く良い。佐藤健は元から帰る場所がなかったんですよね。これ、凄くいいと思う。でもなんか、倍賞美津子佐藤健を抱きしめるシーンとか、ケアの倫理を感じてしまわなくもないけれど、まあ、いいよ。

映画序盤はまあいいんだけれど、中盤から阿部寛林遣都がやたらと叫ぶんですよね。ビックリするし、刑事が叫ぶのって取調室で犯人を問い詰めるシーンだけで良くないですか?学習塾の娘さんに意味不明なこと言い出すのとか、なんだそれ?ってただただドン引きするし……こういう不自然なセリフを伝統にする必要ないですよ。やめましょうよ。

それでさ、一番ひどいのが、佐藤健倍賞美津子の死を知って福祉保険事務所に来るところ。いや、それ自体は別にいいんですけれど、ここで応対する事務所所長?(殺された人)が言うセリフ。「アメリカでは生活保護受給率が5%、日本は1%なんだ」みたいなこと言うんですよ。あそこでそんなこと言わなくない?言うのも変だと思うし、そのセリフって日本の生活保護受給率の低さを訴えて改善しようとする人のセリフであって、日本はそういう国なんだから仕方ないだろ!野垂れ死ね!という考えのもとで言うことはなくないですか?浮きまくっててめちゃくちゃだなと思いましたよ。まあ、百歩譲って、そのことを皆さんに知ってもらいたいのはまあそうなんですけれどね、お前ら生活保護バッシングばかりしやがって、上を叩かず下ばかり叩いていていいのかっていう。まあ、この映画全体の問題にもなっていくんですけれど……。

それでまあ、この映画の悪役は福祉保険事務所の職員ということになっていくんですよ。一旦は佐藤健と清原果耶が生活保護の受給申請に付き合って認められたのに、扶養照会するぞと婆さんを脅して生活保護を止めさせるんですね。この時の職員(殺されたもう一人の人)の「通知されたくないなら、生活保護を取り下げることもできますけどw」みたいなね、この憎たらしい笑顔といったら、典型的悪役ですよ。で、それが原因で亡くなるんだけれど、まあ百歩譲って、小田原市役所問題とかあるから、職員にそんな人はいない!とまでは言えないんですけれど、この件について問い質すべき本当の問題は不正受給を殊更に取り上げることで生活保護費を圧迫しようとする国(自公政権)の狙いと、それにまんまと乗せられる世論じゃないですか。市役所職員が自分の懐から身銭を切っているわけではないのだから、本当ならしょぼくれた婆さん1人を脅して生活保護取り止めさせようなんて発想にはならないはずでしょ。それを仕事として行わせているのは国と世論なんですよ。吉岡秀隆は「疲れていた」と言葉を選びながら語っていて、まあそれもあるかもしれないけれどね。それで、この映画、ちゃんとそういう結論に至っていますか?

この映画は真犯人が市の職員2人を殺して、3人目(吉岡秀隆・国会議員)を殺そうとして止められて終わるんだけれど、吉岡秀隆が国の圧力があるというワードを一瞬は出したものの、結局は市の職員が意地悪をして生活保護止めさせているという次元の話しかできていなくないですか。そして、吉岡秀隆は自分が解放された後の会見で、「犯人のやったことは許されることではありません。しかし、犯人の言うことにも耳を傾けて、福祉に力を入れていきたい」とか言っちゃうんですよ。え?2人死んでるけど?ダメでしょ?そりゃ殺したくなる気持ちもわかるけれど、我々はこの映画を見て、生活保護を叩いてちゃダメだ、福祉を充実させるために声を上げなきゃ、と気づいた。その我々がすべき行動は、空き家を見つけて縛り付けて市の職員を餓死させてやることなんですか?地方公務員をやったつもりが、ただ受付やってるだけのパソナの派遣が殺されるかもしれませんよね。そういう底辺同士の争いを解決策にしちゃダメでしょ。テロに屈しちゃダメでしょ。犯人の言うこととは別に、福祉の拡充を担っていく。吉岡秀隆がそう言ってくれないと、テロ推奨映画ですよ。

まあ、そんな感じで、生活保護制度の問題、その中でも扶養照会のクソっぷりを取り上げてくれたことには100点だけれど、なんか批判の射程が弱い気がしてならないんですよね。職員が意地悪く笑うところだけクローズアップされるから、その現場職員が悪いだけなんじゃねえの、ちょっと役所行ってキツく怒鳴ってやらあ、みたいなバカを増長させることにしかなってない気がする。問題はその上、国と世論でしょ。そういう映画にはなってない気がしてならないと思いました。

何ならわかりやすく、吉岡秀隆に「生活保護制度を改善したい」くらい言わせても良かったと思うけれど、この映画は国の問題にすることを避けているような気がしてならなかった。邪推すると、そこまで描いてしまうと企業や公的機関からの製作費が出なくなるとかあるのかなとか、その制約を掻い潜るために吉岡秀隆を国会議員設定にしたのがギリギリのラインだったりするのかなとか、まあこれは邪推です。