『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』を批判する:シリーズにあるまじき禁忌を犯した問題作

突然ですが、クイズです。皆さんの中で「スパイダーマン」といえば、どんな作品でしょうか?

①クモの能力で派手なアクションを見せる
②親愛なる隣人として庶民の平和を守る
③クラスメイトとの甘酸っぱいロマンス
警察署長が死ぬ

一般には①だと思いますが、スパイダーマンの構成要素として挙げられる魅力には②も③もあるでしょう。では④ってなんでしょうか。こんなの、スパイダーマンの魅力とは関係ないですよね?いや、世の中にはもちろんスパイダーマンオタクというものもいて、そういう人達は各国各文化圏のスパイダーマンで警察署長が殺される様を比較してムホホとなっているのかもしれませんし、それは自由ですが、少なくとも全世界の少年少女がコミックで、アニメで、映画でスパイダーマンを通して勇気を貰っている時に、「ピーターと仲のいいコイツ、いい感じに死んでくれないかなあ」という見方はしません。そんな見方はないんですよ。ピーターと仲のいい人が物語の中で死んだら、ピーターと一緒に悲しむんですよ。

前作「スパイダーバース」では(メディアミックス展開を世界中で繰り広げているスパイダーマンシリーズと相性が良いであろうマルチバースという構造を用いて)様々な世界のスパイダーマンが集まり戦うという内容で、こんなスパイダーマンがいるんだ面白いとか、自分の好きだったスパイダーマンがスクリーンで活躍して嬉しいとか、そういった感情を呼び起こしたことでしょう。

今作、このマルチバースを維持するためには警察署長に死んでもらわなければならない、助けたのは間違いだったという論理が持ち込まれます。つまり、例えばアメイジングスパイダーマン2であんなに懸命に戦ったのに恋人を死なせてしまった、グウェンを抱えるピーター(アンドリュー・ガーフィールド)の隣に立って、「これはカノンイベントだからしゃーないよねwマルチバースを維持するために必然的にこうなるものだったんだよ。救う?いやいや、救ったら逆にマズいからw」と言えるかってことなんですよ。言えないでしょ?(僕は別にアメスパのファンではないけれど)アメスパに対してそんな茶化し方はできないんですよ。そこには(その世界には)「本当」にピーターやグウェンがいるのだから。

大切な人の死がスパイダーマンに必要だというのは、スパイダーマンのストーリーを考える製作者の都合であって(要するに、ストーリーに起伏をもたらすとか、スパイダーマンに共感してもらえそうなハンディキャップによるキャラ付けを与えるとか、見る側それぞれの不幸と重ねさせることで不幸を乗り越えて強くなる動機付けにするとか、そういうの)、スパイダーマン本人やそのファンにとっては全然必要じゃないんです。全力で悲劇を回避しようとしているし、悲劇の回避を願っているんですよ。

それなのに、本作は(ギャグとしてのメタネタではなく)大真面目にスパイダーマンには警察署長の死が必要だなどという話を持ち出してきて、これを否定するマイルスと対立するという構造になっているのです。そんなマルチバースならやめてしまえよ。あのさ、この映画はやたらと自作がコミックに準拠していますということを推しにしているから、僕がここで言っていることもそれコミックでやってるのでw残念wと言われるのかもしれないけれど、それぞれの媒体、それぞれの言語圏、それぞれの街で活躍するスパイダーマンマルチバースですと言ってつなげたのは製作者側じゃん。それでマルチバースの都合で警察署長を殺さなければならないって、盛大なマッチポンプだよね?自分達で勝手なルールを後から付け足して、お前の大事なスパイダーマンマルチバースに囚われているんだと、読んでいるコミック・アニメ・映画の外からむんずと掴まれて世界めちゃくちゃにされて、ふざけんなと思うでしょう?初めからマルチバースなんてやらなきゃいいじゃん。

これ、1作目の時には(多くの人が野暮だと思ったので)言われなかったけれど、今回、こうやってマルチバースを既存のスパイダーマンに対する負の要素として扱うことを公式が行ったことで、はっきり言ってしまえるようになりましたよね。マルチバースって、ソニーやマーベルが自分のキャラを宣伝して多国に展開して儲けるためにやってるだけじゃん、って。いやさ、エンターテイメントとして楽しんでもらうことと売り上げを高めることはなかなかに不可分だから、商業作品が面白くなることを商業目的だという批判は普通成り立たない、センスが良くないとされるはずなんだけれど、お前とスパイダーマンが生きることを願ったアイツが死んだのはカノンイベントなんだ、「そういうもの」なんだなどと、アンチが茶化すためではなく公式に大真面目に言われたら、自分のスパイダーマンを勝手にマルチバースに持ち込んで余計なことを言うなってなるでしょうよ。『スパイダーマン アクロス・ザ・スパイダーバース』は、これまでのスパイダーマンを愛してきたそれぞれのファン、スパイダーマンシリーズを愛してきた全てのファンを侮辱していると思う。